・・・米沢有為会の歴史・・・

 先駆者である伊東忠太(工学博士、文化勲章受章)、村井三雄造、内村達次郎、鳥山南寿次郎、長谷部源次郎、宮島幹之助の若き在京学生六氏が明治22年11月23日の新嘗祭に、本郷の合宿所に集い、幅広い郷里関係者の団体をつくり、郷土愛を土台に相互の親睦と切磋琢磨を目的として共存共栄をはかろうとして発足したものであります。明治22年といえば、米沢市の市制施行の年でもあります。

 会の名称を国家有為の人材を育てる会「有為会」と定め、翌23年1月に新会員募集、2月第2号の機関誌発行、4月飛鳥山で大運動会、8月には郷里米沢中学校(現 米沢興譲館高校)で発起人会、役員会を兼ねた大親睦会を催すなどしてその存在を示し、発足わずか1年にして全国で会員総数429人となりました。当時、米沢地方出身の在京者は、家族や学生を含めおよそ1,100人であったという事です。

 現在、本会が目指している方向は、会員の親睦を基として郷土出身者の育英と郷土産業の振興ですが、設立当初の主目的は育英事業ではなく、同郷諸氏と共に、学術・思想の道を長短相補って進んでいこうとするものでした。事実、寄宿舎を建てたり、学資の貸費制を設けたりの育英事業を行うようになったのは20年後のそれぞれ明治42年、44年のことです。

 爾来、幾多の変遷を経て、平成21年には創立120周年を迎え今日に至っています。