社団法人 米沢有為会創立120周年記念祝賀会の報告

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  • 日時;2009年11月15日(日)
  • 会場;東京・都市センターホテル3階コスモスホール
  • 催事・祝賀会プログラム
  • 1)有為会歴史回顧展(12:30開場)
    2)伊藤忠太の功績を偲ぶDVD鑑賞会(13:00~)
    3)先人顕彰の儀(14:15~)
    4)記念講演『戊辰戦争・有為会』上杉邦憲名誉会長(15:00~)
    5)記念祝賀会(17:00~)

平成21年11月15日、都市センターホテルにおいて、創立120周年記念祝賀会が開催されました。

  • 12時30分、受け付け開始:

      主催者の予想以上の多くの会員が続々お集まりになりました。最終的には、会員、寮生、奨学生に加え、多数のご来賓にお集まり頂き、 出席者が200人を超え、会場のコスモホールが狭く感じられる盛会となりました。


  • 午後1時、「伊東忠太の功績を偲ぶDVD鑑賞会」放映

      また、会場の中の「歴史回顧展」にも多くの方が足を向けられました。


  • 午後2時30分:先人顕彰の儀

       ご来賓には上杉名誉会長をはじめ、この度は、歴代会長のご子孫の方々にご招待申しあげたところ、伊東祐満様(発起人、伊東忠太博士ご子孫)、千坂精一様(初代、千坂高雅様ご子孫)、結城秀人様(第六代、結城豊太郎様ご子孫)、大原敏様(第七代、相田岩夫様ご子孫)、加藤晴一様(第九代、加藤八郎様ご子孫)、がお越し頂きました。

       有為会が今日を迎えることができたことに対し、過去の多くの会員諸氏に感謝の意を表し黙祷を捧げ下条会長から「先人顕彰の辞」の朗読がありました。それに続き、先人の代表として、本日ご出席に5名のご子孫に花束を贈呈し、「先人顕彰の儀」が厳かに終了いたしました。


  • 午後4時:記念講演

        講師には井上ひさし先生を予定しておりましたが、突然体調を崩され、ぎりぎりまでご来場に努めて頂きましたが、残念ながらドクターストップにより、取り止めとなりました。井上先生の「置賜精神論」を期待されていた多くの方々には大変申し訳ないことになりましたことを、お詫び申し上げます。

        なにしろ突然のことで、ピンチヒッターをお願いするにしろ、大変失礼なことなり、主催者としては、ほとほと頭を抱えてしまいました。こういう時のオタスケマンとして最後にお願いできるのは、上杉名誉会長しかないと思い定め、恐る恐るご相談いたしましたところ、快くお引き受け頂き、胸を撫で下ろした次第です。


  • 演題:戊辰戦争・有為会

        天地人も間もなく終了しますが、謙信公の「義」の戦いは景勝公にも継承され「直江状」でも示されておりますが、時の権力・力に屈しない精神は、綿々として上杉藩の誇りとしてきたことだと思います。しかし、戊辰戦争においては、会津藩が「ならぬものはならぬものです」という会津精神、即ち「義」の戦いを選んだが、米沢藩は「不戦」を選んだ。

      それは何故か。

        明治初期、イギリス人旅行家、イザベラ・バードが米沢領に入り、今まで見たことのない景観に感動し、「鋤で耕したというより、鉛筆で描いたようだ」と別天地、桃源郷を発見した驚きを残しています。この景観は米沢領の武士と農民、藩民全員が長い時間をかけ作ったものです。

        その美しき郷土を戦火で汚してよいのか。武士(為政者)の「義」で先人が営々として作り上げた美しい景観を、また、住民の安寧を、犠牲にしても善しするほどの「義」なのか、が熱く論じられた末の、「不戦」の判断だったと思います。武士にだけ通じる「小義」を捨て、景勝公の「百姓は国の宝」をよく体現した、斎憲公と重臣たちの賢明な判断だったのではないか。

        同時に、斎憲公は「この騒乱の全責任は我一身に在り、いかなる罰も受ける」と上申されたが、世継ぎ問題で米沢藩の存続が危ぶまれた時、幕閣の地位にあった会津藩主、保科正之公(老中)のご支援への恩義、奥方のご実家、ご親族としての、また、隣藩としての友誼に対し、結果として裏切ることになる、斎憲公のご苦衷が察しられる。

        真珠湾攻撃における、南雲指令官の完勝を目前にした反転を非難する意見があるが、目的とした戦果をあげた上では、「たとえ臆病の不名誉を受けるとも、犠牲の上の称賛を求めるべきにあらず」、「国からお預かりしている艦船、兵員を危険に晒すことの愚を犯さない」という、責任者として判断であったろう。これは戊辰戦争で示された、斎憲公の「大義」の判断と同じではないだろうか。時代に対応した「義」、米沢精神だと思う。

        鷹山公以来、米沢藩は「学」を重んじてきた。茂憲公は第2代の沖縄県令の時代、教育「人を育つる」を大事にされ、私財を投じ、5人の県費留学生を東京に出し、その人達が各方面で沖縄発展基礎を作った。茂憲公のご遺言に「置賜三郡の人民は謙信公以来患苦を共にし、一朝一夕の由緒では無いのだから後世子孫代々に至るまでこれを親愛し、殖産興業教育を勧誘奨励、旧誼を厚くして、永く相忘れるべからず」とあるが、これが将に有為会の精神をよく言い表していると思います。


      (以上は講演をお聴きした者の1人としての感想です。講師のご趣旨に反する点があるかもしれませんが、責任は筆者にあります。ご容赦ください)

      引き続き、安部米沢市長をはじめ、いろいろな方々からご挨拶を頂戴しました。


  • 午後6時:記念祝賀会

      情野東京支部長、下条会長、大関舎生OB会会長、加納奨学生OB・OG会会長、上杉名誉会長からご挨拶を頂戴しました。



    記念パーティーは本間名誉会員のご発声で乾杯で祝賀会開宴、8時、小森相談役の中〆で無事終了いたしました。

    (文化広報部 中川)