米沢有為会会誌第63号(平成25年11月)より抜粋

米沢有為会『文化大学』講演録


<目次>
第5回;国立国会図書館長 大滝 則忠『今日の出版の表層と日本文化=戦前期の発禁本を探す旅から=』
第6回(1);日本獣医生命科学大学名誉教授 紺野 耕『ペットブームの功罪』
第6回(2);NPO法人食農研センター理事長 滝渾 昭義『飯(めし)のすすめ、日本酒のすすめ』
第7回;NPO法人日本子守唄協会 理事長 西舘 好子『「井上ひさし 先夫の小松町(現川西町)と”いのちの讃歌”と私の今を語る」

会員のノーハウを生かして
 永年出版に身を置き食んできたご縁で、先輩の下條会長、鈴水脩―理事(当時)に“そろそろ汗をかけ″と喝を入れられました。 創立120周年事業の準備の頃から小間使い役をさせていただきました。そこで、会の目的、特に学生たらと会員の交流をどう創るか、 深みにはまったこともあり「文化大学」を提言させていただきました。舎生と会員の広場として、また、入間町一丁目自治会の方々にも ご参加を得ての学習会に増幅しております。勿論、会員仲間には有能な人材が多く、協力あっての「文化大学」です。
(米野)

第5回文化大学(平成24年12月1日(土))


 今回は、この4月国立国会図書館長に就任されたばかりの大滝則忠館長を講師にお迎えし行われました。多くの会員のほか、入間町町一丁目自治会から会長以下8名、また、調布市立図書館から斎木孝夫氏のご出席を頂き、興譲館寮生多数を加え久しぶりに盛況となりました。
 講演終了後、大滝館長を囲みささやかな懇親の場を設け、ご自身の東京興譲館入寮時代の想い出話などを交え和やかなひと時を過ごしました。講師に講演要旨をまとめて頂きました。

 ・講師;国立国会図書館長 大滝 則忠

 ・演題;今日の出版の表層と日本文化=戦前期の発禁本を探す旅から=


(講演概要)

 難解な演題をいただいたが持ち場である図書館の活動と、ライフワークの戦前期の発禁本を探す旅の視点から、文化の基盤となる出版について考えてみたい。

1.国会図書館の役割とデジタル情報への対抗


 まず、職場である国立国会図書館の仕事に関連して考える。戦後に創立された国立国会図書館は、立法府に属し、議会図書館機能と国立図書館機能を併せ持っている。
 国立国会図書館法という法律により、基本的な機能として「国会活動の補佐」「行政・司法各部門との連携」「情報資源の蓄積」「書誌・データベースの作成」「文献情報の提供」「内外の図書館、関係機関等との協力」の6つがある。その中でも「情報資源の蓄積」に関し、国立図書館として文化財の蓄積を目的とする納本制度を基礎に国内出版物を網羅的に収集する機能は、他の諸機能を果たすための基盤となる。
 納本制度による収集対象は伝統的な図書・雑誌・新聞をはじめとする印刷出版物に止まらず、近年では、いわゆるパッケージ系デジタル出版物(DVD等々)に及んでいる。
 さらに、国立図書館として納本制度そのものによることではないが、ネットワーク系デジタル情報を、印刷出版物と同様に収集して利用に供する新しい仕組みづくりも段階的に進んでいる。国等の公的機関が発信するインターネット資科の収集は既に制度化され、また、民間が発信するオンライン資料(図書・雑誌に相当するもの)のうち、無償のもの一部を制度的に収集できるよう法律改正が最近行われた。今後の課題は、民問の有償のものの収集に向けて新制度設計に取り組むことである。
 デジタル情報の普及が社会に及ぼす諸々の影響は、測り知れない。今日の出版活動はこの時代に直面して、模索を重ねている状況にある。図書館の立場としては、一方で利用者の視点を持ちながら、文化の基盤となる出版活動が一層振興する方向で、取り組むことになる。

2.私のライフワーク;戦前期の発禁本研究


 次に、戦前期の発禁本を探す旅を通じて、文化の継承について、考えてみたい。納本制度は戦前期の日本にも存在したが、同じ呼称でも、戦後の制度とはまったく異なる。
 戦前問の納本制度は、出版警察法制下での出版物の検閲が目的で内務省に納本させるものであった。この制度は、明治26年出版法及び明治42年新聞紙法に基づいたが、それらの制定以前にも、明治初年から同種の粂例等で定められていた。そして、敗戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策によって失効する。
 戦前期の出版警察制度は、あらゆる出版物を検閲の対象としていた。図書と雑誌・新聞はもとより、脚本、マッチラベル(燐票)、宣伝ビラ、ポスター等々が対象として含まれる。図書については、出版法が発行3日前までに製本2部を内務省(警保局図書課)に納本すべきこと(第3条)、検閲の結果、安寧秩序妨害または風俗壊乱と認めるものは発売頒布を禁止し、当該出版物を差し押さえできること(第19条)を規定していた。この「発売頒布禁止処分本」が、狭義の「発禁本」の呼称の由来となる。さらに広義には、削除、次版改訂、注意等の様々な処分を受けたもの、また、戦時中の公共図書館で閲覧禁止や制限の扱いを受けたものも含め、読む自由に制約があった図書のすべてを対象にして発禁本をめぐる文化的事象を考える必要がある。
 明治期以来、戦前期における広義の発禁本は1万2千冊を超える数であると推定できる
 これら発禁本は、そもそも発行後、一般への流布が禁じられたものだけに、具体的な書誌的事項(著者、書名、発行年、出版社、頁数、判型等)や処分理由が判明しないものも多い。
 戦前期の内務省納本の図書のうち1冊は、当時の帝国図書館に回付されて保存され、戦後に国会図書館の所蔵となったが、その中には発禁本も含まれている
 しかし、戦後のGHQによる移送の結果、米国議会図書館の所蔵となっているものもある。そのうちの千冊以上が昭和50年代に国会図書館に変換されたが、いまなお千冊規模の発禁本が米国議会図書館に現存する(それらをデジタル化したデータを国会図書館で取得する計画が進行中)。メモ書きで検閲経過を示す検閲原本の一部は、主に国立国会図書館及び米議会図書館に現存しているが、いずれも戦前期の発禁本の全貌を示す規模では遺されてはいない。
 私の取組の目標は、戦前期の発禁本の一冊一冊を探し出し、現存を確認しながら目録を作成することによって、それらに対するアクセスが誰にも容易にできるようにすることにある。一方、戦前期の取締側の様々な基本文書が今後も新たに発掘されることが望まれる。いずれ、現物調告を通じ、個々の発禁本の書誌的事項を明確にすることになるが、その際は各種図書館に所蔵されている、いわば「公的蔵書」の所在を可能な限り極めるように取り組んでいる。
 これまでの発禁本研究は、個人が営々として収集した発禁本の私的蔵書をもとに行われてきた。今後は、公的蔵書を基礎にして、様々なアプローチによる研究が行われ、近代日本における出版文化の裏面史の解明が多面的に進むことを期待したい。
 発禁本を探す旅の前途は、なお果てしない。                
(完)

第6回文化大学(その1)(平成25年4月13日(土))


 市場規模1兆円ともいわれるペットブームのなか、ぺットビジネスを取り巻く知られざる実態や、飼い主の心構えなど、身近な興味深いお話でした。会場には、講師夫人はじめ、同大学の関係者の顔もみられ、和やかな講演会となりました。

 ・講師;日本獣医生命科学大学 名誉教授 紺野 耕

 ・演題;ペットブームの功罪


(講演概要)

 1950年頃から我が国に於いてはペットブームの兆しが見え始め、その後単なるペット(愛玩動物)から、人間生活を癒し家族と同等に扱えるものとして、コンパニオンアニマル(伴侶動物)と呼称されるようになり、ペットを飼育する家庭が増えてきた。
 2011年の我が国の統計では、登録された犬が1,250万頭、猫が1,340頭であり、合計2,590頭であり、飼育率は37%となった。一方、一部の飼い主の身勝手さやマナーの欠如によりペットたちがこうむる被害も浮き彫りにされてきており悲しい事情として受け止めなければならない。
 そこで、このペットブームの功罪について、我が国および海外のペット事情を犬、猫に限定して記述することにした。

ペットの人に役立つ働き


 前述のようにペットブームに伴う社会事情は大いに変化しており次のようなことが考えられる。
 1.小型犬の増加(室内飼育に適する)
 2.純粋犬の拡大(1つのステータス)
 3.高齢化(平均寿命の延長)
 4.動物栄養学の進歩(ペットフードの普及とその内容の改善)
 5.新規飼育者の増加(ベットによる安堵感や癒しを求める気持ち)
 6.家族の一員として(室内飼育の認知度の高まりおよび人並みの扱い)
である。
 特に、上記5、6についてはHAB(Human Animal Bond)すなわち人と動物との絆の提唱のもと、動物と触れ合うことで人は動物から多くの恩恵を受けるようになった。例えば子供と動物との関係においては、乳幼児期においてペットと生活していた子供はアレルギー発症率が低く、また大脳の発達にも良い影響かあり、高齢者については、免疫力を高め、笑いを生じ孤独感を予防する等、人間に対する生理的、心理的、社会的影響のプラスの要因が認められている。また、犬の持てる能力を人の福祉に役立てる身体障害者補助犬法が2002年10月に施行され3種類の補助犬(盲導犬、聴導犬、および介助犬)が活躍しており、ハーネスを付けた犬を伴うユーザーの方をよく見かけるようになってはきたが、現状においては視聴障害者30万人に対し1,042頭の盲導犬そして聴覚障害者36万人に対しては42頭の聴導犬そして肢体障害者175万人に対しては61頭の介助犬と、障害者の申請を満たすにはあまりにも少ない充当率であり、1頭を生産するための膨大な時問と費用をいかにして短縮するかの改善が待たれる。

ペットブームの問題点と悲しい現状(我が国と他国)


 ペットブームの陰では悲しい現状が見られ、動物が増えるのに伴い飼い主の無責任なペットの放棄行為は無視できない社会問題となってきた。放棄され保護された犬や猫は、原則として3日以内に飼い主から返還要求がなければ殺処分される。
 ちなみに2012年の処分頭数は、犬が53,473頭、猫が213,607頭で合計213,607頭が処分された。
 種々の理由があるにせよ、ペットの尊い命を捨てる理由などあるはずがなく、飼い主の無責任と無知の代償をペットに押し付けている悲しい行為である。
 欧米では、我が国のようにペットを店頭に展示するペットショップは存在しない。その理由は命ある動物を衝動買いしたり販売目的で繁殖することを予防するためであり、希望者は予めブリーダーに予約するか、各自治体が運営しているシェルターから成長した動物を譲り受けるやり方が一般的である。
 異常なペットブームに沸く中華人民共和国の事例を挙げると、ここ10年間における空前のペットブームは、ペットに費やす額が500%に増加したと言われ、その勢いは止まりそうにないが、しかしそれに伴う問題も生じている。例を挙げると、
(1)犬の人を咬む事件の増加:2012年に咬まれた人は10万人以上、それにより狂犬病(我が国は清浄国)を発症した人2,264人(前年比30%増)。この理由はリードを犬につけて散歩をする人が少ない、従って 犬は勝手に動き回り野良犬に(ここ10年で10倍)、 つまり犬を飼うことに責任が生じていることを認識していない人が多い。
(2)商業主義がはびこり単毛色よりカラー犬が売れるからと、脱色して赤、青、緑などのカラー犬にする。まあチャウチャウ犬をパンダ犬として高価に販売する等、商業主義が益々エスカレートしている。
 最後に、飼い主が守るべきルールは
1.ペットと生活を楽しむこと
2.ペットが幸せなこと
3.周囲に迷惑をかけないこと、
である。

第6回文化大学(その2)(平成25年4月13日(土))

 「飯(めし)のすすめ、日本酒のすすめ」という演題でしたが、「米と日本酒文化」という切り口でユーモアをまじえながらの講演でした。なんと最後には、銘柄の異なる日本酒ボトル3本を並べて、解説付きの「利き酒会」、思わぬ講師の粋なハカライに皆さん大喜びでした。

 ・講師;NPO法人食農研センター理事長 滝渾 昭義

 ・演題;飯(めし)のすすめ、日本酒のすすめ


(講演概要)

 はじめにクイズ
クイズその1-○か×かで答えて下さい
1、日本では米が余っており水田の4割を減反しているので輸入はしていない。
2、米飯は同じ重量の食パンの約1.6倍の熱量〈カロリー〉があるので太りやすい。
3、日本人の米消費量が加減少しているが、その原因は食の洋風化である。
4、米は消費量が減っているとはいえ日本人の摂取カロリーの4分の1を供給している。
5、米の単位面積当たりの熱量供給力は小麦の1/2~1/4である。
 (答)1× 2× 3× 4○ 5×(2~4倍)
クイズその2
1、日本酒の銘柄名として最も多く使われている漢字はなにか。
2、純米酒と本醸造酒とは何がちがうのか。
3、「日本酒度」とはなにを表わす言葉か。
4、酒杯(さかばやし)とは何か。(ヒント かざりもの)
5、日本酒の出荷量が一番多い都道府県はどこか。
 (答)1鶴 2アルコール添加の有無 3比重計で測る酒の甘辛度 4新酒が出来たときに酒蔵に飾られる杉の葉の玉 5兵庫県
旨い酒とまずい酒
 食べ物には甘味、酸味、塩から味、苦み、旨みがあり「五味」といいます。日本酒にはこのうちの「塩から味」がありません。酒を口に入れたときにまず感じるのが「甘味」です。甘味が強いと「甘口」、甘味が少ないと「辛口」といいますが、これは酒の旨いまずいとは無関係です。甘口で旨い酒とまずい酒があり、同じように辛口で旨い酒もまずい酒もあります。よく間違われるのが添加したアルコールで舌にビリッと感じるのを辛口と思ってしまうことです。
 よく酒を飲んで「飲み易い」と言う人がいますが、これは旨いかまずいかを表す言葉ではありません。美味しいものを食べて「食べ易い」と言いますか?
 酒の旨さを決めるポイントには香り、味、のどごし、あと味、色沢などがあります
日本酒と健康
 日本酒より焼酎の方が身体に良いなどという、根拠のない「迷信」があります。「日本酒は太る」と言われます。が、カロリーのほとんどを占めるアルコールは、酒の種類が何であろうと単位当たり熱量は同じです。日本酒だけがとくに太りやすいということはありません。その点ではいわゆる「ビール腹」迷信も同じです。詳しくは拙著『食と健康に関する10問10答』(筑波書房750円)をご覧下さい。
 同じように、二日酔いするのはアルコール15~16度の日本酒、つい飲み過ぎる傾向かあり、アルコールは日本酒に限らず糖尿病の大敵です。多くの場合食べものと食べ方に問題があるので気を付けましょう。
                    
(完)

第7回文化大学(平成25年7月6日(土))


 冒頭、進行役の米野支部長より「今回の講師は、従来と趣向をかえ、会員ではあるが、いわば、外部の方にお願いした。講師の西舘さんは、井上ひさしの先妻として、大変な修羅場をくぐり抜けてこられた方と聞いているが、今日は、新聞記者やマスコミもいないので思う存分お話願いたい。また、西舘さんは、徳川夢声を偲ばせる話し上手な方」との紹介があった。
 1週間前から、風邪を召されたというので時々咳き込まれるコンディションではあったが、最後まで聴衆を惹きつける熱演トークだった。
 最後に、下條学長のご挨拶があり、続いて、入間町一丁目の「八雲」(同町自治会常任顧問 小島勝美氏の店)に赴き講師を囲み懇談した。

 ・講師;NPO法人 日本子守唄協会 理事長 西舘 好子

 ・演題;「井上ひさし 先夫の小松町(現川西町)と”いのちの讃歌”と私の今を語る


(概要)

1.「日本子唄協会」のこと



 「日本子守唄協会」の立ち上げ
 井上ひさしと離婚後、「こまつ座」との縁を絶たれ、あたかも兵糧攻めにあっているような状況のなかで、劇団「みなと座」を結成。6年目素晴らしい芝居ができあがり、これを神戸のオリエンタル劇場を拠点に阪神全域へ展開する目処がついた。ところが、阪神淡路大震災に遭遇、この劇団を閉鎖することになる。
 すべてを失い途方に暮れるなか、立ち止まって、これまでの人生を顧みるとシャカリキになって、自分のためのみに生きてきたことに気付く。折りしも、還暦を前にして父が常々言っていた「還暦になったら、他人(ひと)のために生きる」という言葉にも突き動かされ、脳裏に飛び込んできたのが孫の顔だった。そこで、この“小さないのち″を育み大切にする仕事をしようと決意する。
 そんななか、ある親子心中事件を取材することになり、そこで遭遇した場面が「子守唄」へ没入する直接の契機だった。それは、樹海の中で無残な姿で発見された2歳の子どもの捜索に携わったお巡りさんの言葉『この子は、何のためにこの世に生まれてきたのでしょうね。未だ子守唄を聞いて寝ておれる齢なのに』
 子守唄を仕事として食べていけるのか、不安はあったが、調べているうち子守唄は、これからの世の中を救うテーマだと確信するに至る。
 人間の人格形成に重要な役割を果たす幼児期に、赤ちゃんと母親を結びつける「子守唄」の存在が、とても重要であることがわかったからだ。
 そして、このことを多くの人達に伝え、次世代へ語り継いでいくことこそ、自分に課せられた仕事、つまり「還暦すぎたら、他人(ひと)のために生きる」という使命に合致する生き方だと確信し、新たな歩みとして「日本子守唄協会」を起ち上げることになった(設立:平成12年11月)。

「日本子守唄協会」の活動
 西舘女史は、この活動のコンセプトは「いのちの讃歌」であるという、子守唄の普及やその啓蒙活動をとおして、「いのち」の大切さが実感できる社会を目指し、虐待防止、いじめ撲滅、子育て支援などへと活動の巾が広かっていった。当協会の事業目的及び事業内容は次のとおり。
 事業の目的(「内閣府NPO法人データベース ホームページ」より)全国各地の子守唄の情報・楽曲収集、系統だった資料の作成、子守唄に関連する活動を行っている団体との文化交流、子守唄に関わる催し物の企画・開催、会報誌の発行、子守唄の普及啓発を主たる活動とし、幼児から高齢者に至るまで広く国民に対し、これらの活動を通じて、青少年の健全な育成や高齢者の生涯教育、無形の文化財の保存、福祉活動への協力に寄与することを目的とする。
 事業内容(「NPO法人『日本子守唄協会』」ホームページより)①子守唄に関する情報・楽曲収集・採譜事業・資料(データベース)作成事業②子守唄の普及啓発のための支部の開設及び講演会・イベント・シンポジウムの開催事業③ホームページの開設④協会会報誌の発行事業⑤協会の広報・宣伝活動

2.「井上ひさし」のこと


神格化
 女史は、井上ひさしが、没後、「天才」「鬼才」或いは「時代を彩る華々しい作家」などと世間でもてはやされることについて、所謂「神格化」されるものと危惧している。というのは、作家であった先夫と暮らしていたとき、最もそうした事を嫌っていたし、権力や名誉の中に自分の作品はおきたくない、それは物書きとしての「死」を意味するからだといっていたからだ。
 これまで、あちこちから「井上ひさし」について語ることを、求められたが、まだ、公に話したことはない。それは「井上ひさし」という人物について自分の中で消化し切れていないからだと女史は語る。だが、世間で「神格化」が進みつつあることを思うと、「今こそ、苦しんできた『人問・井上ひさし』の生きざまを披歴する時かもと思うときもある」とも述べている

直ぐにバレル戯れのウソ
 彼は、直本賞を受賞するまで、生まれ故郷の「川西町」を口にすることはなく、自分のふるさとを時に「盛岡」、特に「仙台」と云い「川西町」を明かすことはなかった。方言やなまり、お国言葉などは全く聞くことはなかったという。女史が、新婚当初何処の生まれかと訊ねると、「長崎」だと応えた。手に残る「しもやけ」の傷跡は、原爆で…?と思わせたかったのか…。
 野球好きでもあった彼は、高校野球で仙台育英高校が優勝すると、自分は仙台育英出身だから、と応援に出掛け、また、ある時は、仙合一高が優勝するとオレの母校だから…という具合。彼は、このように何れバレル戯れの「ウソ」を好んでついた(笑い)。彼の出身高校が仙台一高と判明したのは直本賞受賞以後、やっと友達や先生が現れた。ほとんどの級友に彼の鮮明な記憶はない。その時点から、つきあいが始まり、何回となく仙台を訪れるようになり交流が深まる。東大の樋口陽一教授、作家で歯科医の山田遊幸氏などのグループも出来、最後まで親友だった。

二人だけの「被害者同盟」そして結婚
 西舘女史は、電通のOG時代に彼と知り合った。当時社長に可愛いがられていて、結婚より、仕事に熱が入っていた。その頃、知人のA氏から、貧乏な作家志望の弟子がおり、彼を食わせてやらねばならないのだと聞かされていた。だから、彼(井上ひさし)の存在は知っていた。ある時、彼女は、誕生祝に母からもらって大切にしていた腕時計を紛失した。貧乏な作家志望の男がこれを持っていることがわかり、彼を呼び出した。彼の言い分は、A氏から食わせて貰うどころか、自分は彼の被害者であることを強調し、二人とも被害者だから「被害者同盟」を結成する必要があると称し、仰々しくも委細を紙に書き留めるという滑稽な一面もあった。このようなお遊びの延長の中で、面白いウソばかりつく人と何故か気が合い一緒になったのだという。

1枚のハガキ
 川西町に住むおじから、祖父の33回忌法要の案内状が届いた。彼は、その出席を彼女に頼んだ。川四町は、彼女にとって初めての処である。そのおじさんという人は、彼の作品のなかで、ずる賢く貪欲で極悪人として登場する人物である。
 ところが、「よくござった」と快く迎え入れてくれて、本当にこんな大人しい人がいるのだろうかと思うほど優しい人だった。「ひさし」は、この家で5歳まで、おばあちゃんの手で育てられたこと、そのおばあちゃんは、亡くなるまで「ひさし」のことを大変気遣っていたこと、(彼は1回だけおばあちゃんにハガキを書いたのだが)そのハガキをおばあちゃんは、病気で亡くなるまでずっと病床の許に置き、大切にしていたこと…などを教えてくれた。

虚像と実像の狭間で
 おじさんは、帰りに「長井つむぎ」を土産に買ってくれた。作中に登場する人物とは真逆のおじさんの実像をそこに見た。女史は、物書きの妻として、土下座して謝りたいほど強烈な衝撃を受けた。作家の周辺にいる人間は、思わぬ運命に翻弄されて生きているのだという現実を目の当たりにした。物を書くとは、時として凶器にもなるのだと思った。
 女史は、彼の生家で体験した大きな虚実の落差に、帰ってからこの体験を報告することに戸惑いを感じた。所詮、彼のなかで出来上がってしまっている世界を、打ち破ることはできないと分かっていたからだ。…案の定、返ってきた言葉は、「猫被っているだけだ…」

思い出すままに…
 西舘女史のお話のなかには、井上ひさしに纏わる私的なエピソードが沢山詰っていた。体系的に話されたワケではないので、断片的ではあるが、女史の思い出のなかからほとばしり、口を衝いて出たフレーズを書きとめた。(順不同)
◇「人は、ふるさとに佇むとその入らしさが出てピシャリとキマルものだ。彼はそう意味で、正直なところ、根っからの米沢(川西)の人だと思う。(言外に彼のふるさとは「盛岡」でも「仙台」でもなく…」)
◇私は浅草の生まれで、直ぐ人を信じてしまうオッチョコチョイだ。でも、結構疑り深く、裏も取る。(暗に、彼の術中にはまり騙されることが多かった…)
◇彼は、さっぱり分らない人だった。私は、一番楽しいところを見るが、彼は、一番難しいところを見る。
◇性格の違いや考え方の違いの中に生活者としてではなく、多面性をもった物書きの複雑な心の有り様を理解してあげればよかったと反省。
◇1回だけ、子どもたちと一緒に日帰りで川西町に行ったことがある。「ここでションベンしたんだぁ~」などとふるさとを凄く懐かしがっていた。「じゃ、齢とったら此処に住む?」と聞いたら「イヤだ」「じゃ、何処に住む?」返ってきた返事は「盛岡」。「盛岡には文化がある」と。
◇作家によって非情な親戚として書かれる。どう書かれても、黙っている親戚がいる。物書きの周りにいる人の宿命だ。
◇彼は、母親(マスさん)のことを烈女・猛女と書いた。母親も書かれると影響を受け、自ら筆をとってモノを書くようになった。彼は、そのこと(=母親の創作活動)を嫌い、女史をとおして止めさせようとした。
◇晩年、母親は彼に甘える姿をみせるところもあったが、心の底に、彼に対する後ろめたさを感じていたのか、親子には、拭えないある距離が感じられた。
◇私は、離婚して「仕舞った」と思う時もあったが、何よりも、子どもたちの世界を大きく広げてやれなかったことが残念だと思っている。
◇彼が最後に見た夢は、「小松」だったに違いない。
◇ふるさとを持つ人は幸せだ。母親を持つ人も幸せだ。しかし、母親に愛されて育った人はもっと幸せだ。
◇あの世に行ったら、彼のために、子守唄を唄ってあげたい。そして、孫の話をいっぱいしてあげたい。
◇彼に出逢っていなかったら、今の自分は無かったと思う。そういう意味で、彼には本当に感謝している。