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米沢有為会会誌・創立120周年記念号(平成21年)より
興譲館寄宿舎開設100周年記念 舎生OB寄稿文集

東京興譲館の思い出---昭和38~42年頃

平 山 和 博(東京興譲館 1963年(昭和38年入舎)



私は、西大久保寮の最後の頃に入舎し、4年生のときに新築の仙川寮に引っ越したという変化の時代を過ごしました。そのあたりの事を中心に書いてみます。
 
 
 
写真1 西大久保寮の玄関前

写真1は、西大久保寮の玄関前。全員総出で庭の草刈をしたときのスナップです。奥の屋根の高い部分が食堂で、折々のコンパや夜毎のネズミ(夕食の残りを胃袋に片付ける寮生)の活躍した場所です。
 新入生コンパの際には、近所の銭湯に押しかけ女湯の入り口の戸を開けて大声で挨拶するのが新入生のノルマでした。勿論私もやりました。
 
 
 
 写真2 西大久保寮の庭で

写真2は、草刈に参加した面々です。昭和38年の1~4年生と英おばさんです。後に見えるのが戸山中学校。この庭では、毎週土曜の夕方、教育大の先輩の指導によるフォークダンスの集いが開催されており、近くの社会保険中央病院の看護学生寮の学生さんと寮生が手に手をとって、交歓を楽しんでおりました。このお陰で、2組のカップルがゴールインしています。
 この西大久保寮も老朽化が進み、更新の話が具体化してきたのが、昭和40年頃です。当時の小幡館長等のお骨折りで、西大久保の土地を売却し、仙川(調布市入間町)に土地を求め、鉄筋コンクリートの建物を新築するという構想が出てきました。小幡館長の「40年後も通用する先進的な寮にする」という基本理念の下、設計が進められました。我々寮生の意見も反映していただくために、小幡館長の勤務先であった東京ガス本社に度々お邪魔しました。当時は民問アパートでは珍しかった「水洗トイレ」を実現していただいたのが強く印象に残っています。
 いよいよ西大久保寮を引き払う日の前夜、庭で近所でお世話になった方々や件の看護学生寮の面々を招いて盛大にお別れパーティーを行いました。キャンプファイヤーで盛り上がり、くべる物がなくなると、建物の板壁をはがして燃やしました。その晩は、寝ながらにして星が見え、時は晩秋だったのでとても寒い思いをしたのを憶えています。
 
 
 
写真3 新築の仙川寮

写真3が新築なった仙川寮です。昭和42年の正月は新しい寮で迎えられました。部屋数が倍近くになったので、4年生は卒業までの3ヶ月問1人部屋という特権を享受し、4階の部屋から西大久保とはまったく違う田園風景を楽しんだものでした。
 移転の記念にと、西大久保寮跡から仙川寮まで甲州街道(東京オリンピックのマラソンコース)を仲間と走ったのもよき思い出です。


東京興譲館寮のこと

手塚 修(東京興譲館 1963年(昭和38年)入舎)
 
 
 
 私が在寮させていただいたのは、昭和38年から41年の4年問である。世の中は、しかも大学は、60年(昭和35年)安保と70年安保の狭間にあって、騒然としていた。もっとも私が入学したときすでに、大学構内には扇情的な檄文バリケードが日常的にあったし、活動家の連中がハンドマイクで声高に喚いていた。だからそういうのが大学なのだと思っていたので、特に落ち着かない感じはしなかった。それでも、大学の食堂で、お互いの主義主張をなじり合いながら、闘争家同士で殴り合う現場に遭遇したり、学費値上げ反対闘争に関わって授業ボイコットに参加したりしたことは今でも鮮明である。
  そのころ新宿区西大久保にあった東京興譲館寮は、平屋と2階建ての棟になっていたが、かなり老朽化していた。寮生にも様々な意見を求められたが、米沢有為会の方々のご尽力で調布市入間町に鉄筋コンクリート4階建ての新寮が建設され昭和41年(1966年)に完成したのである。西大久保寮最後の寮生であり、入間町寮最初の寮生にならせていただいた。
 同時期の誰かが書いたら重複することになって申し訳ないが、寮の行事や生活について断片的ではあるが、いくつか記したい。草創期から行われていたようであるが、寮の旅行、那須や伊豆が記憶にある。日常と違った出来事、振る舞いが印象深い。社会保険中央病院付属看護学校の睦寮との合同フォークダンス。前庭でのミニ野球、キャッチボール。隣とのさかいの塀の上にさらに網ネットを設置したぐらい熱中した、というより、5寮対抗野球に情熱を燃やしたのかな。寮の界隈をぐるっと回るコースでの駅伝。新寮に移ることに決まってから、西大久保から入間町までの駅伝。新寮に移ってからはテニス。とにかく何事もおもしろがって熱中する奴が集まっていた。それから有為会支部総会、園遊会の準備、後片付けの手伝い、有為会会費の集全活動なども記憶に残る。
 最後に私と寮について記したい。入寮させていただいて本当に有り難かった。中でも、先輩、後輩からたくさんの刺激をもらえたことが一番である。生来、ぼうっとしているところがあった私は、漠然と理系の勉強ができればいいと思って上京したのだが、自分が気づかないようなことにに関心を持って、勉強している寮のみんなに啓発されることが多かった。また寮生だからこそお聞きできた有為会の先輩の方々の話にやる気を掻き立てられた。学生時代は勿論、卒業後もいろいろなことに関心を持って積極的にやれたのは、館長を始めとする有為会の方々、寮生活、寮友のお陰であると思い続けている。