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米沢有為会会誌復刊9号(昭和35年8月発行)
興譲館だより(昭和35年、1960年)

東京興譲館

憂うつな梅雨の季節がやって来ました。毎年のことであると知りながらも、いざ毎日毎日雨に降られると、つい不満の一言も云いたくなるものです。例えばある舎生の告白―――彼はめずらしくも7時頃目を覚ました。今日は1時限が経済学のゼミである。昨夜の痛飲のせいか、顔色があまりよくない。しかし頭痛も大きな欠伸と一緒に吐出すと、彼は窓を開いた。低く垂れ下った灰色の空から、音もなく雨粒がおちてくる。憂うつな雨、いや彼にとっては憎むべき雨である。よく理解できないながらも、ケインズの「一般理論」を一生懸命に予習しておいたのに、雨を見たとたん、「有効需要」や「年数理論」等々の、本を読んでいる時は理解したと思っていたいくつかの理論が、頭からスーと抜けて遠くにかすんで行く感じがした。到底この雨は止みそうもないと判断すると、彼は再び温もりの残っている布団にもぐりこんだ。彼は傘をもたないのである。傘位、買えばいいのにと思われるかもしれません。でも恐らく、傘代すらも、バッカスの神に魅せられて、火の水と早変りするのでしょう。彼は全く愛すべき御仁です。
ところで一方、梅雨よりもはるかに憂うつな低気圧の嵐が日本全土に吹きまくっています。勿論この嵐も興譲館に入りこんで猛威をふるっています。安保問題です。5月19日の会期延長、安保衆議院通過、以後連日の様に繰り返される抗議デモ、6・4全国時限スト、10日ハガチー事件、15日死者を出した全学連と警官の衝突、16日、ついにアイク訪日中止等々、全くめまぐるしい政治旋風、日本歴史上未曽有の大規模な大衆政治運動、最高層の知識階級・文化人から家庭の主婦までを包含するこの嵐に、舎生がどうして無関心でいられようか。対立する2つの勢力が互いに民主主義と議会主義の擁護を主張する矛盾、政治の空白、我々学生の理解をこえる様な数々の問題に、真剣に取り組み、取組もうとしているのが、興譲館舎生の現状です。悲しむべきことですが、真摯に取組めば取組む程時々刻々と変化する政局に一分たりとも無関心を装うことは出来ず、つい学業にも落着いて身を入れることができないのです。
しかし我々学生の任務は、暖かい心と冷静な頭を持って事に対処し、かつ運動を通じて多くのことを考え、議論し、学び取るように努力することであると筆者は考えます。正直のところ、この頃の興譲館はどこか落着きを失っています。しかしながら、今年の梅雨も上がれば、真夏の陽光が輝く様に、日本全土を覆っている黒い政治の暗雲もはれて、これが会誌誌上に載る頃、我々学生も、勉強に精励できるようになることを祈るものです。
今年も4月、新しく6人の入寮者を迎えてみんな元気に勉学、遊びに精を出しております。ボツボツタバコ等をたしなむ様になり、日毎に成長して行くようです。
今後共、諸先輩の変らぬ御指導をお願いいたします。なお、舎生28名は次の通りです。

 相浦幸治(教育大教4年)  福井県武生市
 安部孝二(理科大化学4年) 長井市
 加藤方也(中大商4年)   宮内町
 神田源蔵(専大商経4年)  米沢市
 寒河江晃(東薬大4年)   高畠町
 益田長之進(電通大4年)   小国町
 石原俊一(日大法3年)    米沢市(会計係)
 小形巧 (早大政経3年)   白鷹町
 片桐勝朗(外語大西語3年)  米沢市(委員長)
 楠川興平(東経大3年)    米沢市
 越津浩(東京薬大3年)    長井市
 進藤甲三(成城大経3年)   米沢市
 鈴木良平(工学院大3年)   米沢市
 高野良彦(学習院政経3年)  米沢市
 大塚直敏(青山学院大英米文学科2年) 米沢市
 勝見正弘(法大社会学部2年) 米沢市
 神尾康三(明大政経学部2年) 米沢市
 佐藤孝夫(中大法学部2年)  米沢市(庶務係)
 宍戸仁(法大法学部2年)   米沢市
 羽隅弘宣(立大経済学部2年) 米沢市
 花角慎一(明大法学部2年)  米沢市
 山方雅晴(法大経済学部2年) 米沢市(文化厚生係)
 赤井淳一(日大農獣医2年)  岩手県
 川越一郎(上智大経済1年)  米沢市
 木村貞二郎(国学院経済1年) 米沢市
 中村紘一(東京薬大1年)   米沢市
 羽田和夫(教育大教育1年)  白鷹町
 横山東士(教育大体育1年)  赤湯町
                           (片桐記)


山形興譲館

「グーテンモルゲン」等という怪しげなカタカナの各人の廊下でのあいさつ、又は置賜人らしい「おはよーし」という言葉で寮の朝があける。寮という所は他の所とまず第一に時間的にずれている。
日曜日などは昼の12時でも「早朝」とぼやく人もいる。もっともである。というのは日曜日の朝方まで中国語の単語を発して楽しんだのである。こうなると娯楽室の隣の委員長は部屋で眠れない。故にこの頃はそれを楽しむ人も自粛するようになった。
また置賜地方出身という意識があるせいか雰囲気が非常に和やかで家庭的である。だれか1人が笑声(?)で歌い出すと隣の部屋、部屋から、それに合わせるように五部(?)合唱という具合になる。
この歌といえば4月24日に近くの千歳公園で開いた新入生歓迎の観桜コンパで、寮の経営に助言指導して下さる、青木虎次郎氏と菊地律郎氏をお招きして愉快な一時をすごした。この時等高歌放吟、あたりにいる人々を驚かせた。
また暇な時には誰からとなく「野球しにえぐべ」が始まる。この練習量が積りつもって遂に対抗試合となる。先日寮に出入りする某クリーニング店とやりコテンパにやっつけた。また「家庭的」なるが故に寮の経営の面で、非合理的、ルーズな面が見られますが、何とか是正したい。と努力しているのですが、出来ず会員の皆様に多大な御迷惑をおかけして本当にすまなく思っております。
寮の総会で問題になる寮費及び食事等について、会員皆様の御助力で改善出来たらと寮生一同考えております。
尚、今年は4興譲館寮親睦会の当番に私達があたっており、寮生一同、何か面白いものをやろうと秘策を練っております。
寮の年内行事としては10月の寮祭、11月にあるピクニックといった様なものです。
 在寮生
 山形大学文4 西村啓   米沢市
 山形大学教4 高橋勉   川西町
 山形大学教4 山口啓舟  宮内町
 山形大学教4 今英夫   白鷹町
 山形大学理3 菊地郁夫  長井市 委員長
 山形大学教3 目黒孝雄  長井市 庶務
 山形大学文2 海老名栄二 白鷹町 会計
 山形大学農2 吉田陽司  長井市 文化
 山形大学農2 小山孝男  北海道
 山形大学教2 安部紀男  川西町 厚生
 山形大学教2 梅津道夫  長井市
 山形大学理2 小島富夫  米沢市
 山形大学理2 木村貞夫  高畠町
 山形大学教2 小林哲男  長井市
 山形大学教2 平吹信彦  長井市
 山形大学農1 田沢亮   青森県
 山形大学農1 森重隆   北海道
 山形大学教1 山口鉄舟  宮内町
 山形大学教1 塚本祖玄  米沢市
 山形大学教1 山口富士男 長井市
 山形大学教1 竹田俊司  長井市
 山形大学農1 小林修司  青森県
 山形大学工1 佐藤憲一  福島県
 山形大学工1 安孫子健一 白鷹町
 山形大学農1 中川鴻一  北海道
 山形大学文1 渋谷正紀  北海道
 山形大学工1 武石雄吉  秋田県
 山形大学理1 寿松木俊雄 秋田県
 山形自動車訓練所 舟越和平 白鷹町
                以上29名
 今年度、大学側の要請により置賜地区以外の学生も入りました。
 以上間単に寮を紹介致しました。
    山形市薬師町420 興譲館山形寮(電話2655)       (海老名記)


仙台興譲館

増築成った仙台興譲館は、その姿を青葉のもゆる広瀬川の清流のほとりに今日も静かに横たえている。新寮舎は12月に完成、スレート瓦葺一階建で部屋数は6、窓も大きくとり入れられ、クリーム色の壁と共に内部を明るくしている。室内は洋式で二段ベットは広く、我々興譲館生一同はこの恵まれた環境の中で諸先輩の恩情をひしひしと身に感じながら日夜勉学に励んでいる。
今春3月、仙台興譲館は親しく生活を共にして来た7名もの諸兄を実社会に芽出度く送りだした。安部壮一郎氏(経)は大林組に、大関修敬氏(法)は三菱銀行に、大浦徳昭氏(文)は東北放送に、小関昌幸氏(文)は文芸春秋新社に、佐藤清一氏(工)は日立工機、横山邦雄氏(工)は東芝電機、渡部進氏(法)は商工中金に、それにインターンで東京国立第二病院に行かれた船山完一氏とそれぞれ一流の会社に落着かれた。送り出してから改めて諸先輩の良さをしみじみと感じた。そして今では彼等の特徴やらが楽しい話題として取り上げられたりするのである。我々も諸兄に恥かしくない様がんばっている。年度改まって陽春4月我々は新舎生を7名も迎い入れた。興譲館は再び共同生活を開始した。仙台興譲館の定員は新寮舎完成のため、一挙に28名にふえたのであるが、今の処6名の欠員になっている。これは今迄厄介になった下宿への配慮などから、今暫く延期していることによるもので之等の人々もやがて入舎、間もなく満員となる見込である。

松島にて

 香坂昌紀 東北大文4 米沢
 香坂茂美 東北大医4 米沢(総務)
 佐藤二男 東北大法4 赤湯(厚生)
 平昭夫   東北大理4  高畠(文化)
 船山秀一  東北大理4  小国
 片平利昭  東北大大学院工2 長井
 安部英夫  東北大文3  宮内(庶務)
 湯野川孝夫 東北大工3  米沢(会計)
 持田正一  学院大経2  米沢
 川村志厚  東北大法2  長井
 大越文彦  東北大工2  高畠
 伊藤英男  東北大経2  米沢(庶務副)
 加藤正一郎 東北大工1  小国
 種部豊   東北大理2  米沢
 渡部武   東北大工2  宮内
 中村精三  東北大工1  米沢
 鈴木治雄  東北大工1  米沢
 高橋信男  東北大法1  高畠
 金田捷記  東北大法1  長井
 金田隆樹  東北大医1  長井(文化副)
 武田俊二  東北大文1  高畠
 橋本周蔵  東北大経1  長井

春の寮生総会では、新しく寮則を作ることを決議し今その作成にいそいでいる。少々しばられるだろうが28名もの大所帯になるのだからあって然るべきものである。又同じ総会で乏しい予算ではあるがその中から今年はテープレコーダーを買うことが衆議一決、その購入が待たれる。テープレコーダーにより仙台興譲館生は語学力、音楽力に格段の進歩を期待できるだろう。
得意の野球については昨年度の対外試合、成績は残念ながら余りかんばしいものではなかった。第1戦は7月に三原時計店と対戦、5対4でこれを下したが第2戦は興譲館のある角五郎丁親善野球大会に於て、角五郎丁選抜軍と戦い2対4で惜敗。第3戦は11月、角五郎丁学生選抜軍から挑戦をうけ酒1本をかけて熱戦をくりひろげたが7対2で惜敗してしまった。寮内の恒例文科理科対抗は10月の或る日行なわれ16対9で理科の圧勝に終った。今年も5月に早々と寮内の対抗試合が行なわれ文理対抗では差がありすぎるとして、東西対抗で行ったが14対7で西側が勝ち、又、角五郎丁学生選抜軍とは11対10で又も惜敗した。こう見えても実は強いのが仙台興譲館チームである。
仙台興譲館の年中行事の中に春秋のピクニックがある。昨年10月には紅葉の山寺に行った。山寺は山形県にあるというのに行ったことのある人が意外に少い。今年の5月には菖浦田浜から塩釜へと外松島の美観を快晴の空のもとゆっくり味わった。小学校の校庭を借りてフォークダンスに興じ海の近い丘にてゲームを楽しみ思い出深い一日であった。
学生の気質は十人十色の言の如く、将に多彩。ロマンチストとリアリスト、理論派と体験派、直情とシニック・・・夜ともなれば一堂に会しての彼らの論戦は誠にすさまじい。ただただ生真面ばかりではない。そこには我寮独特の合の手"駄洒落"が入り、笑いの内に我陣内に相手を呼び込む高級戦術を心得ている。苺ミルクの新鮮さに、郷里の味笹巻きに舌づつみを打ち、餅に満腹を知る間に、話は遂に行きつくべきところに行きついてしまう。


札幌興譲館

今年も又、ここ北海道は本州等では見ることの出来ない独特の緑色につつまれる季節となりました。毎年毎年かならずこのたよりで北海道の素晴らしさについて色々な形容詞を用いて書かれて来ましたが、もうそろそろその用うべき形容詞も品切れとなった次第です。しかし、半年以上もの長い冬がようやく終って、春もそこそこに初夏に飛び込んでしまうのですから、このコンクな初夏が我々の眼にどんな風に映るか、皆さんには御察し願えることと思います。
さて、我が寮にもこの4月、5人のメンバー交代がありました。上野紀四郎君(北大農学部卒)は全国購買連合へ、西沢俊治君(北大工学部卒)はトヨタ自動車工業へ、又三原信義君(北大工学部卒)は富士電機へと夫々就職され、又丸山義皓氏(北大大学院農学研究科)は御退寮後も更に研究を続けられ、山下和夫氏(北大大学院文学研究科)は、法学部助手となられ今後も勉強を続けられることになりました。以上5人の人達に代って、米沢より3人、そしてその他に2人の新入寮生を迎えた次第です。
創立30周年を迎えた札幌興譲館は、昭和5年当寮設立に際して設計及び工事を監督された伊藤弥助氏を館長にいただいて、総勢13人、毎日楽しく寮生生活を送っております。その13人の寮生を御紹介しましょう。

札幌興譲館全景


 一年生
  ○加藤公清(興譲館高校・北大教養部理類1年)
  ○本名正文(興譲館高校・北大教養部理類1年)
  ○森  一(興譲館高校・北大教養部理類1年)
 二年生
   阿部俊示 (興譲館高校・北大教養部理類2年)
  ○恩田正臣 (群馬太田高校・北大教養部理類2年)
  ○鈴木大和 (山形東高校・北大医学進学課程2年)
   須藤進  (興譲館高校・北大医学進学課程2年)
   東海林利雄(興譲館高校・北大教養部理類2年)
   沼武良  (函館中部高校・北大教養部理類2年)
 三年生
   安喰弘  (山形東高校・札幌医大医学部1年)
   間宮博  (興譲館高校・北大工学部鉱山工学科3年)
 四年生
   河原紀夫 (札幌西高校・北大理学部地質鉱物学科4年)・会計係(4~9月)
 五年生
   米村尚晃 (興譲館高校・北大医学部3年)・委員長(4~9月)
 ○印は新入寮生

御覧の通り皆若く、平均年齢20才と何ヶ月という若さです。
この若さにものを云わせて、新入寮生歓迎会の夜などは、皆が上半身はだかになって近くの寮を6、7軒ストームして挨拶にまわりました。5、6月は大学生にとって一年中で一番ひまな時なので、夜ともなれば、フォークダンス、社交ダンスの講習会やパーティーに出掛けたり、映画に行ったり、或はおそくまでトランプと夜食に集ったり、12時を過ぎてもパイをかきまぜる音の聞えることもしばしばです。近頃は安保反対のストやデモで、特に教養部の連中にとってはヒマに輪がかかった様子です。騒がしいと云って上級生にどなられたり、或は寮費滞納のかどで名前を貼り出されたり、シュンとすることもありますが、これも又楽しからずやといった昨今です。
昨年の秋、消防署の方から寮の防火設備について注意があり、非常梯子を新しくして消火器を備える様に云われましたが、さて資金に困ってしまいました。そこで有為会の総会を開いていただきまして、その他寮内の修繕の費用も含めて、その資金を会員の方々の御寄付によってまかなっていただくことを決定し、早速河原前委員長を頭に我々一同手わけして会員の御宅へ参上した結果、今年の1月までに34000円を集める事が出来ました。この事につきましては御協力いただいた在道会員の方々に寮生一同深く感謝しております。この中、1月に8000円を投じて消火器を2台購入し、5月に入って非常梯子を取り換え、又寮の入浴設備が長い間こわれたまま使用出来ず、少々離れたところにある銭湯へ行くという不便をかこっていたものを、約2万円の予算で新設して現在では週3回入浴しています。その他寮内あちらこちらの小さな修繕は、伊藤館長自ら日曜大工を買って出られ、我々もお手伝いして予算の許す限り行いました。以前から寮のガンであった下水設備については、資金を有効に使用するために、寮生がゴールデンウィークの中一日を返上し、泥まみれになって工事をやりましたが、その甲斐あってどうやら満足すべき成果をあげる事が出来ました。その余勢を駆って庭にバレーボールのコートを1つ作り上げましたが、最近このコートの場所を大蔵省に取り上げられる運命になってしまいました。現在建物の立っている土地は大蔵省のもので財務局が管理し、有為会が借りているわけですが、他の土地の地価が上がるのに比例して契約金も高くなって来ている実情です。育英事業とも云える私設寮の地代を、一般の土地並に高くすることに対して大いに不満を感じている次第です。そんなわけで札幌興譲館にとってこの土地の件が、当面の大きな問題になっております。
このことにつきましては、以前より本部の御心配をいただいてまいりましたが、今後共よろしく御配慮下さいます様お願い致します。
最後に会員皆様の御健康と御活躍をお祈り致します。
                               (米村記)