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米沢有為会会誌復刊8号(昭和34年8月発行)
興譲館だより(昭和34年、1959年)

東京興譲館

 "行く川の流れはたえずして・・・"と古事にも有りますごとく、月日の過ぎるのは真に早く、又その一日一日なんらかの形において異りつつ、今年で米沢有為会も発足以来70周年を迎えたわけでありますが、同時に又、昔の興譲館の学生生活と現在のそれと、事の善悪は別として、異って来ていると思われます。もちろん、現在に生きる私達は過去における先輩諸氏の生活は、古ぼけた過去の有為会雑誌によって、わずかに飾られたアウトラインを知る事しかかなわないわけでありますが・・・
 ×月○日、11時戸締り完了、異常なし、寮費、授業料を払ったところ手元にはわずかの金しか残らなかった。又つらい日々を過さねば・・・と思うと心も重くなる。一杯やってうさ晴らしを!と頭に浮んだものもつかの間、やめにした。「金」これ程僕にとっていやなものはない――本当かね。――― これは東京興譲館当番日誌の抜粋である。金に苦しみ、金に喜ぶは東西古今いずこも同じであるらしいが、ここ東京興譲館においても、その法則にもれず昔も今もさして変わらぬようだ。
 東京興譲館生活は又東京における故郷米沢地方の縮図でもあるようだ。
 ×月○日、今日は例年の通り草刈である。朝早くから起されて不愉快な日曜日である・・・刃のぼろぼろとかけた「カマ」を持って刈取ると言うよりむしろ、むしり取って行くと言った方がぴったりする有様は、興譲館ならではの風景である。"草刈"故郷を思い出す言葉であり、東京の真中に在っては思いもかけない、忘れさられた言葉だろう。
 さて、私たちにとっては最大の楽しみであり、待ちどうしい食事の一部を御紹介しよう。
 ×月○日 ―――今日の興譲館のお献立―――
「朝食」魚(さばかなあ)の揚げ煮。カブの味噌汁。オシンコウ。
「夕食」-「麩」のおつゆ。春雨。チラシズシ。興譲館の食事は1日おき3食となっています。食事内容はぎりでも上等であるとは言えないようだ。しかし私達にとって楽しいまちどうしいもののひとつである。
 最後に、一部寮生諸君の涙ぐましい努力をひとつ。
 ×月○日、異常なし。「禁煙を宣言す」。「協力たのむ」これが最後、(まさか一生じゃあるまい、期限をつけねばならないな――1年ウフフ・・・どうも実績が実績だけに?――でも今度はかたそうだなあ――時期が良いもなあ――4月とはご立派、ウッフフ・・・
 現在東京興譲館は館長に桜井凱夫先生を、副館長に高橋俊竜先輩を仰ぎ日頃、御指導、ならびに助言を戴いております。なお舎生諸氏は次の28名です。
 大河原忠(立大経4年) 米沢市
 小関薫 (中大文4年) 米沢市
 庄司富男(日体大4年) 米沢市
 藤倉駒夫(東経大4年) 米沢市
 吉田彰郎(東大経4年) 米沢市
 飯沼 俊男(理科大物理3年) 米沢市 (委員長)
 相浦 幸治(教育大教3年)  福井県武生市
 安部 孝二(理科大化学3年) 長井市
 加藤 方也(中大商3年)  宮内町
 神田 源蔵(専大商経3年) 米沢市
 寒河 江晃(東薬大3年)  高畠町
 益田 長之進(電通大3年) 小国町
 石原 俊一(日大法2年)  米沢市 (食事係)
 小形  巧(早大政経2年) 白鷹町
 片桐 勝朗(外語大西語2年)米沢市 (庶務係)
 楠川 興平(東経大2年)  山形市
 越津  浩(東薬 2年)  長井市 (会計係)
 進藤 甲三(成城大経2年) 米沢市
 鈴木 良平(工学院大2年) 米沢市
 高野 良彦(学習院政経2年)米沢市
 大塚 直敏(青山学院大英米文学科1年) 米沢市
 勝見 正弘(法大社会学部1年) 米沢市
 神尾 康三(明大政経学部1年) 米沢市
 佐藤 孝夫(中大法学部)    米沢市
 羽隅 弘宣(立大経済学部1年) 米沢市
 花角 慎一(明大法学部1年)  米沢市
 山方 雅晴(法大経済学部1年) 米沢市
 和田 裕光(早大教育学部1年) 米沢市
                      (K・A記)


山形興譲館

うっとうしい梅雨の季節となりましたが、先輩諸氏には益々御健勝の事と存じます。創立以来まだ日の浅い山形興譲館も年々、数人の卒業生を送り、「修学上の便を図り、相互の親睦を図るを目的とす」を目指して微力ながらも着々、その成果を上げつつあります。
しかし何ぶんにもまだ日が浅いこと故、寮の運営面や施設設備に多くの難問題があって決して満足すべき寮生活とは言えないようです。万年床に徹夜と朝寝坊が得意で、大男共がゴロゴロし、1週間分のめしを1日で喰ったかと思うと、まる1日何も喰わなかったり、と言ったら昔ながらの寮生活の標本のようで例えば保障されようとも自らその権利を捨てているとしか思えないようですが決してそうではありません。中にはズボンの折り目を気にし、頭をてかてか光らせ、ノリのよくきいたYシャツを着て近代青年の範たる者も少なくないのです。
本年は入寮生が少なく定員26名の室数に今春は3名の新入寮生を加えて現在寮生は17人と言う小世帯です。1人1室の個室を当てがわれ、せめてもの特権とばかり8畳間に1人大の字になっています。我寮は家庭的な雰囲気をモットーとしているだけあって相互の親睦を図るという目的は忠実に果たしていると信じています。ひとつのもでも2人で分け合い、他人が病気でもしようものなら徹夜はおろか学校を休んでまで看病してくれる友情と親切さ、これはみな偏に興譲館精神の賜と思います。
我等寮生は日夜勉学に励むと共に学生生活を楽しんでいます。秋には恒例の寮祭を催しマラソン大会や、ジャン大会などを行います。時にはこぞってピクニックに出かけますし日曜日には野球の対外試合なども行います。つい最近では街のクリーニング屋と対戦し16対4で快勝し、大いに気をよくしました。
最後に、今年は米沢有為会の70周年に当っているそうですが、常日頃多大な御援助を頂いております有為会の皆様方に厚く御礼を申し上げ有為会の発展をお祈りします。
今後共変らない御指導をお願い致します。
1959年6月 山形興譲館          委員長 高橋 勉


仙台興譲館

 仙台興譲館は市街西はずれ、広瀬川沿いの静かな住宅地の中に、緑につつまれて建っています。川向い、元駐留軍キャンプ跡に教養部分校が完全に移った今日、交通的条件も申し分ないものとなりました。即ちこの広い丘に立ち並ぶ川内分校まで徒歩10分、医学部へ15分、学部および学院大学まで電車で20分です。
野球試合あれば川内球場へ、夏泳ぐには目前の広瀬川に行き、勉学に疲れた夕べは河畔に行って、かじかの声に耳かたむける、といった落着いた雰囲気に暮して居ります。
現在在寮生16人、それに小母さん母娘の住む寮は、小人数であり、同郷人の集まりまであるため、米沢が仙台に移って来た様な感じです。全部新制っ子になり、そろそろ戦争を知らない年代に移りつつある昨今、寮内の主要行事と各人の紹介に以下費やしたいと思います。
33年7・8月
長い梅雨が過ぎ、待ちに待った夏休みに入ったのは7月10日でした。各自思い思いの計画に従って、旅行する者、アルバイトをする者、あるいはまとまった勉強をする者、就職組はその準備にかかり、居残りが残っている寮はすっかりさびしくなります。仙台名物の七夕祭りも終わった一日、泥棒が入りました。幸い警察に、盗んだ衣服を売払う寸前のチンピラが捉り、事なきを得ました。
7月27・8日
各地に離れている興譲館舎生の親睦を図る意味で、吾妻登山を計画し、総勢20人余、あいにくの雨天にもかかわらず、白布高湯温泉出発、歯の根の合わない程の寒さも、ものともせず、市長より戴いたチーズをかじりながら、全員無事下山したのでありました。そして次年度の東京興譲館主催の第2回登山を約し別れました。
9月
日焼けしてたくましくなった寮生が続々帰り、一期試験をひかえた勉学の秋、各自もりもりと勉強する様になりました。
役員改選が行なわれ、新役員決定し、旧役員慰労コンパを開き、その労をねぎらいました。また部屋交代が抽選で決められたのもこの頃です。
10月
新入生も慣れて来たこの頃、数々の催しが行われました。マージャン大会が予選、決勝と行われ、自称ベテラン連が破れ、舎外の平君が新チャンピオンになりました。また慣例秋のピクニックが開かれ、サイカチ沼から秋保温泉へのコースに、秋の野山を満喫して来ました。この頃寮出身の、金子友二さんの御世話で、電気洗濯器を安く購入することが出来舎生一同とみに清潔の度を加えました。さらに寮用自転車を購入しました。運動の秋となり、野球対外試合2回行い、1勝1敗の成績でした。また文科対理科の試合も行い、これも仲良く1勝づつあげたのでありました。
12月
舎生スキヤキ忘年会が行なわれ、又クリスマス・イヴには残留舎生苦心のクリスマス・パーティーが開かれ、女性も加え、珍しく華やかな雰囲気となりました。
34年正月
この時ばかりは舎生殆ど帰省し、居残りには酒1本の御礼をする慣例になっています。
明けて、15日餅コンパを行い、館長、理事長はじめいつも御世話になっている方々を御まねきし、共に郷土の味に舌つづみをうちました。
2月
いよいよ学末試験にそなえ、各自スキマ風の入り込む部屋で、火鉢に手をかざしながら、猛勉するようになりました。勉強に疲れると暖かそうな部屋に集り、家から持参した餅を焼きながら、しみじみした話や、喧々ガクガクの議論に時を忘れ、時には聖談におよぶといった、寮生活のダイゴ味を感ずる時です。その1日卒業生送別会が開かれ、残留舎生より、卒業生にネクタイピンの記念品が贈られ、過ぎし日々を共になつかしみました。
3月
東北大学受験生が20人近くやって来ました。舎生一同泊まった人々全ての合格を願い、色々元気づける様努めました。3月末日新入生選考会が米沢東校で開かれ、入館者2名、補欠1名選考しました。
4月・5月
新入生を混じえて、いよいよ新学期始まりました。桜の頃から新緑の5月に入り、慣例春のピクニックで松島に行き、春の海に1日遊んで来ました。
今春、白石にインターンで行かれた渋谷多助、法務省検察庁に本間達夫、留岡組秋田支所に塩谷純の3諸兄を送り、新入生を迎えた現在舎生を紹介致します。
 安部 壮一郎 東北大経4年 宮内
 大関 修敬  東北大法4年 米沢
 小関 昌幸  東北大文4年 米沢 庶務(副)
 佐藤 精一  東北大工4年 米沢
 船山 完一  東北大医4年 長井 総務
 横山 邦雄  東北大工4年 長井
 渡部  進  東北大法4年 米沢 会計(前)
 香坂 昌紀  東北大文3年 米沢 庶務
 佐藤 二男  東北大法3年 赤湯 文化
 塚原 保夫  東北大医3年 小国
 安部 英夫  東北大文2年 宮内 会計(後)
 持田 正一  学院大経2年 米沢
 我妻 光吉  東北大薬2年 米沢 更生
 大越 文彦  東北大工1年 高畠
 加藤 正一郎 東北大工1年 小国
 種部  豊  東北大理1年 米沢


札幌興譲館

 「マヨネーズをかけて食べたくなる様な緑」そんな言葉が今の北海道にはピッタリである。その緑にかこまれた街の中には、ライラック アカシアの花 パンジー チューリップ等が咲き、バスで郊外へ出ると、スズランが香り、石狩の浜には赤いハマナスの花が砂の上に咲いて、何かきびしさを感じさせ北の日本海を女性的に見せる。
 半年以上寒さに閉じ込められた北海道の人達にとって、この季節は生きがいそのものなのである。
 さて今年も、卒業生を送り、新入寮生を迎えた。北大工学部鉱山学科を卒業された丸山保治氏は、日東工業に就職され代って、久々に米沢から3人ものフレッシュメンを迎え、その他2人が仲間入りした。前置きはこの位にして、一同ひとりずつ自己紹介をしながら、趣味とか、希望とか、所感などしたためてもらう事にしよう。
安部俊示。 北大教養部理類本年入学。興譲館高校出身。夢にまで見た北海道、札幌そして北大。北大構内の広さ、札幌の街の整然とした道路、原始林を思わせる様な木々や美しい芝生の緑につつまれた植物園、その他どれ一つ取っても夢に見たのも無理ではないといったものばかり、こういうすばらしい雰囲気につつまれ、毎日を楽しく送る若い我々は本当に幸福だと思っている。趣味も魚つりとか、クラシック音楽でもヨハンシュトラウスのようなもの、それに軽音楽を楽しむ事である。
須藤進。 北大医進本年入学。興譲館高校出身。我ながらとんでもないところへ来たものだと感心する。天をつく様なポプラの並木、アカシア並木 シラカバ林 エルム リラ 良く見るとやはり美しい。ワンダーフォーゲル部に入っているので、これから歯舞、色丹までは行かなくとも北海道中を歩きまわろうと思っている。
東海林利夫。 北大教養部理類本年入学。興譲館高校卒。ようやく大学の生活にもなれ、さぼるコツも覚え、遊びと勉強のバランスもとれるようになった。札幌は風景の美しさ、それから美人が多いところの2点においては僕に満足感を与えた。学生生活を送るには適した所でしょう。この環境の下で、工学部応化を出て石油会社か肥料会社にでも就職して、ゆく末は重役までもと理想を高く持っている。
沼武良。 北大教養部理類本年入学。函館中部高校出身。入学以来1ヵ月半も過ぎに今では、外から帰ってくると靴は真白、服から土煙がたちのぼるというこの札幌の街にも慣れ、遊び疲れた暇を見ては、学部移行を目指しての勉強に励んでいる。小さい頃から外国にあこがれていた僕は外国漫遊の旅を計画し、あわよくば宇宙一週旅行をも実現したいという野心を抱いているが、未だ未だ青二才の僕にはこんな事をする資金も頭脳もないため、仕方無くそのハケ口を切手収集に求めている。
安喰弘。 札幌医大進学部2年目。山形東高校出身。生れは天童、私は歩く事が好きで、山登り等は暇と金があれば、どこかへ行きたいなあといつも思っている。北海道は夏もいいが、特に冬は素晴らしい。昨年12月に余市岳へスキーに行った時の空と雪の美しさは今でも目にチラつく。この様な雄大な北海道で、良く遊び、良く学びたいと思っている。
間宮博。 興譲館高校出身。将来、工学日本の一助になればと現在北大教養部理類2年5組に在学中。人並に好きな事は沢山あるが、どれもこれも趣味とまで云えないのは残念。札幌に来て1年2ヶ月、目もさめる様なあざやかな緑と、色とりどりの花に満ちた都と女の人には喜ばしいが、毎日通う風速何米かの風が吹く馬フン街道の方が印象深い。併しこれからのスガスガしいポプラの風景はいつ見ても好きだ。
河原紀夫。 北大理学部地質鉱物学科3年。札幌西高校出身。雪解けを待ちわび、2年の春先、寮生となった。大自然を背景とした情緒あふれる風物詩、その数々をカメラ、絵画におさめ新鮮な大気を吸って、新緑の森を馬でとばし、澄んだ青空の下にハイキングで1日を過すことが出来る。全く素晴しい大地だ。若さに満ちあふれる我等が大邸宅に帰投すれば、暖かい雰囲気に包まれ、勉学にいそしみ、楽しい生活を送る。僕ならずとも我等が寮に愛着を抱くにはさほどの日数はついやすまい。
上野紀四郎。 都立豊多摩高校出身。北大農学部畜産学科4年。趣味:時代劇鑑賞、全ての音楽鑑賞、うまいものを食って温泉に入る事。主張:時代劇スターを1社に集め、山本富士子、市川雷蔵を主演とする大ロマンをプロデュウスする。希望:卒業及び就職して太ること。したい事:米国へ行けたらロスでウエストを聞いて、ニューオーリンズでデキシーを求め、ニューヨークでイーストにしびれたい。
西沢後治。 北大工学部機械工学科4年。名古屋東海高校出身。以前は大変ファイトがあったのに、現在は全然ファイトがない、でもそのうちまた若返るつもりである。最大の欠点は勉強をしない事、長所は・・・又の機会にしよう。札幌は良い所、北大に入るなら、若き時代の願望(?)の、大半は叶う事を保証する。
三原信義。 北大工学部電気工学科4年。楯岡高校出身。感受性に富み。趣味は本を読む事か、音楽を聞く事等でそれ等が時によると限り無いイメージの自由奔放な世界を与えてくれるのが大好き。性質温厚にして他人に嫌われる事無く、珍しい位ロマンチストでもある。一方何事もキチンと数学的に割り切ろうとする厳しい考え方が、それ等と混然として、微妙な調和を保ち、独特の味のある個性を醸し出している。エンジニアとしての抱負は、丹精こめて電気機器を作り出すこと。
丸山義皓。 北大大学院農学科農業経済学専攻、博士課程3年。山形南高校出身。希望:ケンブリッジかハーヴァードで経済原論を学ぶ事。趣味:スポーツ殊にピンポン、スキー。最近感じた事:人は非常に親切である事。
  山下和夫。 北大大学院博士課程3年。山形南高校出身。大学在学足掛9年目、在寮6年目の古狸。万事控え目にしている。やっている事は、セーヨーシというもの、但し紙ではない。例えばシェークスピアによるとリチャード三世は極悪非道の人間だが、果たしてそうか、てな事を調べる学問です。当然趣味は探偵小説とスリラー映画。やっている事が余り人間臭くて時々無機の世界が恋しくなる。でもガロアの伝説を読んだら、やっぱりそこにも「余りに人間的な」人間がいて、自分の仕事は業の様なもんだと諦めた。
  米村尚晃。 北大医学部医学科2年。米沢西高校出身。以前は静かで平凡な人生を望みましたが、現在の心境は"It is better to be a crystal and be broken, than to remain perfect as a tile of the house-top" といったところ。一生の中に何かひとつと、大志を抱いている。趣味は、冬はスケート夏は泳ぐ事、その他に絵を見る事、アメリカナイズされて、映画軽音楽ダンス、1番興味があるのは人間、そして北大がこの上なく好きである。
 以上の13人が我が寮友である。札幌に来た当座は春先の風がとてもいやなものだが、2年3年とたつにつれ、どこ吹く風とまで行かぬとも、あまり感じなくなる様である。皆も筆をそろえて書いている通り、北海道の自然は素晴しい。誰しもがこの緑に目と心を奪われる。しかし、例え無意識の中にしろ心を奪われ無気力になる事があってはならない、大いに闘志をもやし、寮生一同がんばりたいと思っている。最後に皆様の御発展をお祈り致します。       (米村記)