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米沢有為会会誌復刊7号(昭和33年8月発行)
興譲館だより(昭和33年、1958年)

東京興譲館

 興譲館をかく評定する。
西隣りの親父さん――とにかく学生寮の隣に住むもんじゃない。そら、又ジョンが吠え始めた。何、連中が球拾いに入って来たんですよ 一寸目を離すと塀を乗り越えて入って来る。深夜にたき火をして気勢をあげたり、バドミントンをやり始めたりするかと思うと、とんでもなく朝早くワアワア騒ぎ出す。何だと思うとソフトボール試合らしい。野次ったり黄色い叫び声をあげたりその騒々しさと言ったら無い。俺も若い日はこうだったろうがどうも年をとると五月蝿くて仕様がない。とにかく大迷惑ですよ。
附近の女学生――あすこの前を通るのは大嫌い。塀が直ってから少しはよくなったけど集っては奇声をあげるのよ。裸で騒ぎ回ったりおよそ下品だわ。
附近の受験生――大学生なんてあんなものかな。年中野球やったり集っては駄弁つている。中には夜遅くまで頑張っている人もあるけど。
多丸湯の番台の娘さん――興譲館にハンサムが入って来たわ。あたしを映画にでも誘ってくれないかしら。そしたらたまには風呂代まけてやるんたけどな。興讓館の人って一般におとなしいわ。
滋子ちゃん――興譲館の庭ね、あたしの遊び場なの。だって広い所他にないじゃない。興譲館のお兄さん達ったらあたしが入っていくと皆ヒヤヒヤ言うのよ。でも皆いいお兄さん達ばかりだわ、野球大好ね。お家のガラスときどき割っちゃうんでお父さんブウブウ言ってるわ。興譲館の中ってあんまりきれいじやないわ。でも桃色のバラはきれいね。
東隣の奥さん――興譲館の学生さんて一般に純情ね。興譲館の中って殺風景だけど明朗で親しめる空気が一杯ですわ。皆張り切り屋ね、ワイワイ言ってるから起きてみたらマラソン大会だって。赤いタスキなどかけて頑張っていたけど見ていて気持がいいわ。興譲館は朝早く行事をやるのが好きのようね。
魚 金――私んとこの一番のお顧客さんですよ。その他いろいろお付合いを頂いてます。11月の園遊会の時には私も自動車で荷物運びなどお手伝させて貰います。私んとこは興譲館の台所と直結してるんですが安いので栄養をというので小母さんの苦労は大変ですよ、それにしてもあまりいいもの食いませんね。
魚金の奥さん――学生さんて気がおけなくていいわ、時々お伺いするけど歌声なんか聞くととっても健康的で私も若くなるわ。たまに酒なんか飲むと夜中に叩き起されることもあって閉口するけどそれだけ御ひいきを頂いていると思うと有難いわ。
足立屋――毎度御ひいきにあずかっています、この頃はあまりお飲みにならないようで私んとことしてはいいような悪いような。それでも夜になると飲み助が我慢できなくなるらしくて一度はなどは夜中の3時頃起されました。何しろ起るまで電話を鳴してんですから、学生だから半分悪戯でしょうがね。
富士屋のアイちゃん――開店早々からすぐお顧客先になりましたわ。巨人阪神戦などがあると5、6人で打ちつれてテレビ見に押かけて来ますわ、30円位のもの食って2時間もねばっていくんです。それから毎晩のようにいらっしゃる学生さんもいますし、きまって夜中にラーメンをおとりになる人もいます、本当に腹がへってるのかしら。
「憩」のおばさん――甘党が4、5人よくいらっしゃいます。5,6月頃はよく先輩らしい学生が新入生をつれて来るようです。見てると面白いですよ。先輩が先輩ぶって奢ってますよ。
肉屋の花ちゃん――興譲館ってあまり金がないらしいわ。いつもコマ切れなのよ。時々いくけど全然殺風景ね、それでよく花をもっていってやるわ。学生さんは2、3の人しか知らないわ。それに一寸遠いから毎日の様子はよくわかんない。
八百屋の娘さん――野菜は小母さんに買っていただくけど学生さんは夏みかん位ね、でもよく店の前に来るわ。果物は高いからだめなのかしら。
運送屋――書籍だとか何とか言っていつも米なんですよ。でも配給米だけじゃ若い者はもたないでしょうから仕様がないと思ってますよ。
興譲館かくの如し、ただ舍生として残念なことに勉強家が多いのを見落されたようです。
現在舎生28名次に紹介します。
まず新舎生から、
 金 子 啓 三 君 (法大2年) 米沢市   米沢商高出身
          独立自存派 当館随一のモダン・ボーイ
 石 原 俊 一 君 (日大法1年)米沢市  興譲館高出身 
          高校時代山岳部で活躍、不言実行型山男の面目躍如たり   
 小 形 功 君  (早大政経1年)白鷹町 長井南高出身 
          きわめて純真なかなかのファイター野球大会で活躍
 片 桐 勝 朗 君 (外語大西語1年)米沢市 興譲館高出身 
          寮一番の勉強家野球もうまい万能型
 楠 川 興 平 君 (東経大1年) 山形市  山形東高出身  
          オールラウンド・プレイヤー
 越 津  浩 君 (東薬大1年) 長井市  長井南高出身 
          きわめて明朗、真面目小形君とは絶好のコンビ
 進 藤 甲 三 君 (成城大経1年)米沢市 興譲館高出身 
          真面目である当館きっての保守派
 鈴 木 良 平 君 (工学院大1年)米沢市  興讓館高出身
          かつてバスケット部で活躍真面目、うちにひめたファイトをもっている
 高 野 良 彦 君 (学習院大政経1年)米沢市 興譲館高出身 
          真面目である、何事も自ら進んでやる、しかし案外のロマンチスト
次に、旧舎生の面々を紹介します。
 渋 谷 英 一 (東電大工4年) 米沢市
 菅 原 文 雄 (明大 文4年) 白鷹町
 田 村   亨 (日大 工4年) 米沢市
 千 葉   忠 (中大 法4年) 米沢市
 西 方 稔 雄 (法大 法4年) 米沢市
 沼 沢 研 一 (教育大理4年) 白鷹町
 渡 部   章 (早大 教4年) 米沢市
 飯 沼 俊 男 (理科大物理3年)米沢市
 大 河 原  忠 (立大 経3年) 米沢市
 小 関   薫 (中大 文3年) 米沢市
 庄 司 富 男 (日体大 3年) 米沢市
 藤 倉 駒 夫 (東経大 3年) 米沢市
 吉 田 彰 郎 (東大 経3年) 米沢市 委員長
 相 浦 幸 治 (教育大教2年) 福井県武生市
 安 部 孝 二 (理科大化2年) 長井市
 加 藤 方 也 (中大 商2年) 宮内町 食事係
 神 田 源 蔵 (専大商経2年) 米沢市 庶務係
 寒 河 江  晃 (東薬大 2年) 高畠町
 益 田 長之進 (電通大 2年) 小国町 会計係
最後に、皆々様の御健勝をお祈り致します。      (吉田記)
  東京都新宿区西大久保4の170  東京興譲館(電話(36)6611)


山形興譲館

 こまくさ咲きほこる雄大な蔵王山、まだ頂に真白な衣をつけて、鋭く聳え立っている朝日連峰、月山を一目に見渡し、深緑の木々に囲まれた山形は今が一番というところでしょうか、山形市も二つのデパートが建ってからはみちのくの都会という感が深まった様子です。
 当山形興譲館が発足してからもう四年目の歳月を数えますが、創立当時に比べ、篠田支部長さんはじめ有為会先輩各位の御尽力により徐々にではありますが、寮内も整備されようやく寮気質とでも言いますか、そんなものが感ぜられます。山形市という町全体がのんびりとしているせいか、寮も誠にのんびりとしており、全く家族的な雰囲気の中で毎日を送っています。これは興譲館寮ならでは他の寮では絶対に見られぬ一種独特の雰囲気であります。
 今年は17名の新寮生を迎え、例年の通り歓迎会兼花見コンパを千歳公園の中で催し、夜遅くまで愉快に過しました。
 寮生皆が全く若さに満溢れている。一日の研究を終った後でも疲れひとつみせず、余暇をみては夕方暗くなるまで裏の中学校で野球に興じている。さては時たま徹夜でマージャンに凝ってパイとにらめっこしている者、また夜遅くまで自分の研究も忘れ友と人生哲学を論じている者、恋愛論を論じている者さまざまである。ついこの頃有志が集ってコーラスなるものが出来低音ブームを起している。なかなかセンスのあるところを見せている。たゞ問題なのはそのエ不ルギー源に少し不足していることである、何とかもう少し改善せねば栄養失調もまぬがれない、腹がへっては戦は出来ぬという所である。
 去年から創立記念日に寮祭を催すことになり、去年は少し遅れたが10月1日から3日間であった。絵画、写真展示会、将棋、囲碁、麻雀、野球、ソフトボール、マラソンの各大会が行われ、最後につきものゝコンパが支部長さんはじめ、有為会の方々が多数参加され誠に盛大に行われ、メーターが上り過ぎるのも忘れて歌、舞と賑わしたものでした。今年も盛大に行われることでしょう。
 また去年の10月寮の委員改選のとき、新旧委員が、紅葉ほこる天童温泉に支部長篠田甚吉氏の御招待に預り、夜遅くまで全く心ゆくまで御馳走になり大いに気を吐いたものでした。
 次に、有為会の方々への御願として、当興譲館は建物をお借りしている関係上、舎費が1ヶ月1人1,200円で、8畳間に3人でありますから、約2畳半で1,200円という山形では誠に高額な部屋代となっております。これが大分寮生のふところにも響いております。そこでぜひ将来の山形興譲館の発展にも有為会の建物を実現させていたゞきたいものです。
 尚、当興譲館の構成員は次の通りです。
教育学部
  4 年  荒 井 健 三   高畠町
   〃   安 部 嘉 徳   長井市
   〃   伊 藤 俊 幸   米沢市
   〃   後 藤 喜 一   米沢市
   〃   斎 藤 勇 雄   川西町
   〃   原 田 皃 腦   宮内町
  3 年  雨 田 秀 人   米沢市 庶 務
   〃   大 竹 周 次   酒田市
   〃   鈴 木 四 朗   米沢市 会 計
   〃   色 摩 貫 司   長井市
   〃   島 貫 正 彦   長井市 文 化
   〃   ニ 瓶   功   高畠町
   〃   佐 籐   修   長井市
   〃   岡 部 栄一郎   長井市
   〃   長谷部 国 於   白鷹町
   〃   金 田 純 雄   白鷹町
  2 年  安 部 恭 夫   長井市
   〃   高 橋   勉   川西町
   〃   山 口 啓 舟   宮内町 厚 生
   〃   平   祐 一   宮内町
  1 年  五十嵐 悟 郎   米沢市
   〃   高 世   勲   長井市
   〃   平 井 良太郎   長井市
   〃   目 黒 考 雄   長井市
   〃   横 野 久 昭   川西町
文理学部
  4 年  山 下   倫   米沢市
   〃   斎 藤 正 浩   長井市 委員長
   〃   西 村   啓   米沢市
  3 年  遠 藤 俊 一   飯豊町
  1 年  菊 地 郁 夫   長井市

工 学 部
  1 年  石 沢 勝 夫   米沢市
   〃   小 林 邦 男   米沢市
                       (斎藤正浩記)


仙台興譲館

 仙台市角五郎丁と言えば市街の西の一隅、広瀬川の清流が近い。そこにスレート葺き平屋建の仙台興譲館が位置している。ここは、市の中央にある東北大学本部まで徒歩なら40分、医学部には15分、そして今まで往復に電車で1時間半以上もかかった教養部も元駐留米軍のキャンプ跡に文科系は既に今年の4月から移ったし、理科系も来年度までには全部移る予定なので、直ぐ近くの澱橋を渡って広瀬川を越せば寮から僅か10分前後で歩いて行けるという、全く学生にとっては恵まれた場所である。寮の傍をバスが通っているし電車通りにも近いので交通の便も良い。しかも四囲は緑に包まれた住宅地で、夜更けはもとより日中でさえ殆んど何時もひっそりと静まりかえっていて、読書の疲れにぼんやり窓の外を眺めていると初夏の木立を渡るそよ風にまじって遠く近く時鳥や郭公の声がさわやかに響く。杜の都とうたわれた仙台は一年中で今が最も気持の良い時節である。
 今春3月、郷里の荒砥高校で英語を教える大熊徳次(文)秋田市の聖霊女学院で国語を受持つ平丈郎(文)、日立製作所附属病院に就職の佐藤巌(X線技師学校)、と親しく生活を共にしてきた3学兄を名残り惜しいながらも芽出度くそれぞれ実社会へ送り出した。送り出してから改めて諸先輩の良さを泌々と感じたのだったが、年度が改まって陽春4月になると、入学試験以上に狭い入寮詮衡の関門をようやく通過した3名の新入舎生を仲間に加えて再び我々は親密な共同の新生活に入ったのだった。
当興譲館の定員は16人で、現在のメンバーは次の通り。
  渋 谷 多 助  東北大医4  長井高卒  総務
  船 山 完 一   〃 医3   〃
  塩 谷   純   〃 エ4  米沢西高卒
  塚 原 保 夫   〃 医2   〃
  小 関 昌 幸   〃 文3   〃
  佐 藤 清 一   〃 工3  米沢西高卒 文化
  横 山 邦 雄   〃 工3   〃    会計
  安 部 壮一郎   〃 経3   〃    副総務
  大 関 修 敬   〃 法3   〃    庶務
  渡 部   進  東北大法3   〃    厚生
  佐 伯 和 重   〃 教2  長井高卒
  香 坂 昌 紀   〃 文2  米沢西高卒
  佐 藤 二 男   〃 法2  宮内高卒
  持 田 正 一 東北学院大経1 興譲館高卒
  安 部 英 夫  東北大文1   〃
  我 妻 光吉    〃 薬1   〃

 増築については毎年繰返しこの欄でも切望しておりながら何時もその願いが満たされずじまいだったが、役員の方々の御尽力により昨年から今年にかけて急速に具体案が練られ詳細な設計図までも完成するに到った。仙台は殊に米沢地方出身の学生の多い土地でもあり、現在の我々の同輩の為にもまたこれからますます増えていくであろう後輩の為にも、1日も早く設計図の青写真を現実の建物に造り上げることのできるように会員諸父兄の心からの御協力を待ち望んでいることをここに重ねて強調しておきたい。
 4月も半ばを過ぎて総勢16人の顔が揃うと新入生歓迎のコンパが行われて、そこからいわば大家族的とも言えるような共同生活の幕が切って落される。学生にはつきもののコンパなのだが、年に何回か定期的に行われるものとしては他にも、9月の役員改選及び旧役員慰労のコンパ、1月の餅コンパ、2月の卒業生送別コンパなどがあり、季節の推移に応じてその時々の思い出がまつわっている。最近のコンパでは羽目をはずしての大騒ぎというのは一種の伝説みたいになってしまって、その点では何か物足りないような気がするが、しかし寮生1人1人がそれぞれのまとまった人格の中に一応完成され、落着いたそれらの人格同志が色々なテーマについて論争をかわし徐々になごやかな歌へと発展していくという傾向は一つの新しい方向を示すものだろう。ともあれコンパは学生時代における最も楽しいひとときである。
 同郷人が小人数で一つの家庭的な穏やかな雰囲気の中で毎日を送っているからであろうか、他の地方の人の眼には寮生が殆んど皆同じような性格の人々の集まりと感じられるらしいのである。
 しかし一緒に生活し或る程度つき合いが深くなると、それぞれの個性の違いの大きさに時々驚いてしまうことがある。種々の特性を備えていて16人の全てが何かについて自称他称のオーソリティなのである。「牡蠣の如くに寡黙な」者も居れば、人の顔を見る度毎に議論をふきかけて相手を煙に巻くことの好きな者も居る。一方野球、卓球、相撲、バドミントンなど運動のチャンピオンが居れば、他方芸術に関しては、クラシック音楽の生き字引や歌手をもしのぐ美声のテナーや同室者を面くらわすような作品をものにする画家が居る。このように、彩りの豊かなメンバーが、春秋2度の抽籤によって10畳の部屋2つ、6畳の部屋5つに割振りされることになっているのだから、同室者の組合せ如何によって合計7つの部屋のそれぞれが又さまざまの特徴を帯びてくる。毎晩ラジオの音や話声が何時絶えるともなく続いている部屋、2人とも居るのか居ないのか分らないほどに物音ひとつ立てない部屋、夜半になるときまって寝言の漏れてくる部屋、夜と昼とを全く裏返してしまったような生活をしている部屋、等々。

 現在の建物は終戦直後にできたものなのでかなりいたんできている。しかし建物は古くとも内部は他の学寮などとは比較にならない位に掃除が行きとどいている。春には内部の大掃除、秋には外まわりの大掃除が行われるし、その他の時は、どんな無精者同志のペアでも少くとも週に一度はきれいに自分の部屋を掃除している。
 男の学生にとって最大の悩みの種は洗濯である。これは誰もが痛切に感じていることとて、春の寮生総会では、乏しい予算ではあるが無理をしても電気洗濯機を1台買おうではないかと衆議一決、6月には既に大いに利用している筈だったが、どうしたことか現品は未だに到着していない。洗濯機の来るまで洗濯は保留だとしていた連中も遂にたまりかねてグチをこぼしながら元のたらいと洗濯板との厄介になっている次第である。。
      
 興譲館の年中行事を語るのに決して落してはならないものとして、春のピクニックと秋のハイキングとが挙げられる。寮生一同が寮外の同郷の学生その他を誘い合わせて40人前後が参加するが、数年前までは女性が数人加わったという程度だったのに、この頃はむしろ女性の方が数人多いのが普通だから変れば変ったものである。しかも回を重ねるに従い内容形式ともにますます充実してきて、最近ではもうこれ以上のことをするのは一寸無理ではないかと考えられるほどにまでなっている。昨年の10月は仙台の水道の水源地である青下貯水池に芋煮会を兼ねたハイキングを行い、今年の5月には松島の先の嗚瀬川の河口に出かけて、秋の紅葉、春の若葉の下にそれぞれ思い出深い一日を楽しく愉快に過したのだった。
この春秋の行事は、米沢地方出身者が互いに集まり合うという別の面で又重要性を持っているのであって、同じ仙台に居りながら日頃つい取紛れて忘れられがちな絆を強めるのに良いきっかけを与えてくれる。

 間もなく梅雨がすっかり上ると、本格的な夏が、そして長い夏中休暇がやってくる。新学年が始まって2ヵ月余り、ようやく油ののり出した勉強が中断されるのは何としても残念ではあるが、しかしそうは言っても夏休みは学生の最大の特典、若い心は今から山や海を駈けめぐっている。そして休みが近づくと奇妙に故郷の風物が思い起されてくるものらしい。
 我々舎生の間で、夏休みに帰郷した折に東京、札幌、山形の各興譲館舎生と相互に親睦をはかる為に郷里の吾妻山にでも一緒に登りたいという提案がなされ具体的な計画が立てられて、現在その連絡折衝を仙台興譲館が中心となって行っているが、これは是非成功させたい試みである。各興譲館によって結ばれる地方毎の縦のつながりは、それら相互の横のつながりによってより一層堅固なものになるだろう。今回の始めての試みが成功して、とかく他との関係のとだえがちな4興譲館の相互交流という課題の解決の一助ともなれば幸いだと思う。その意味で各地の舎生諸兄の御協力を期待している。
 最後に有為会の今後の御発展を祈って筆を置くことにする。        (渡部記)


札幌興譲館

 今年も又北海道に住んでいることを幸福に思う季節がやって来ています。少し札幌興譲館より近況をお知らせします。去る6月8日に米沢有為会札幌支部の懇親会が札幌郊外島松で催され、本寮からもやむを得ない2、3の寮生を除いて皆参加楽しい日を送ってきました。人口増加に伴って色々の風物が消えてきましたが、スズランも近い将来消滅する運命にありそうです。我々もその代謝に一役買ってきたわけです。ところで本年も札幌興譲館若干の代謝をしました。即ち、佐藤道男、藤田浩也、今野儀兵衛の三氏が退寮、間宮博(教養1年目)、河原紀夫(教養2年目)、清野忠紀(医学部1年目)の三氏が入寮全員12名となりました。退寮された諸氏は今後各方面で活躍されるものと期待しています。寮の生活は単調な所もありますが、各人各様に工夫して暮しています。
 3疊の洋間には備付けの。ベッド、机、本箱(一部)以外の物はなく、後は私物で適当に装飾しています。部屋換えの時には各人大掃除してベッドの位置、靴の置場、カーテンの色に至るまで、少くとも1年間は自分だけの領分になるのですから、少しでも住み心地の良い様にと、1日中この日ばかりは良くアルバイ卜します。実際自分だけの支配の及ぶ範囲を持っているということは我々にとって有意義なことです。第一、学校で疲れて帰って来ても独り静かにしていられなかったり、又学校に居るのと何等異なるところのない生活しか持っていないとしたら実にいらだたしい、なさけないことです。それに自分だけの領地では自分の個性というよりコノミが思い切って発揮出来ます。不精な人間は乱雑にしておけばよいし、絵や好きな詩をかいて壁にとめてもよいでしょう。それでこそ水性塗料で壁を白くしたり、窓ガラスをみがく手にも力が入ろうというものです。洗い物を干すはりがね一本張るにも工夫するのは結構楽しいものです。かくて出来上る部屋はそこの住人の一番住み易い姿をしているのは当然で、以前の住人の面影なぞ何ひとつとどめてはいません。洋室10、和室2ですが、各人一室、札幌興譲館の名の下に自治寮としてこれを運営しています。寮規則という程のものは何も有りません。寮生が規則の上で寮にしばられることは全くありません。寮全休で行う行事と云っても年2回のコンパ、総会、大掃除の外は決ったものはないのです。その他の日々は24時間、勝手であります。下宿しているのと同様自分だけの生活をすればよいのです。
 しかし本寮の自治を守るためにも寮生は一つにまとまっていかねばなりません。そのことは寮生もよく知っていますから、まとまる可き時はよくまとまり、ガス代の節約から石炭運びの手助けまで、毎日協力してやっています。幸いに我が寮は人数が少ない関係上各自、顔を会わせる機会がいくらも有りますので、よく交流しています。ですが寮生は教養の1年目からドクターコースに学ぶ者までおりますので年令の開きはいかんとも致し方ありません。我が寮は寮というには少しはばかるような、こじんまりしたもので多勢いる寮とは雰囲気が違います。第一に静かです。勉学に励むには最適と云えます。学校へは5分とかからず行けます。街にも又近いし、すぐ裏を鉄道線路が通っていますので、汽車が通過する時は少しうるさい程で、あとは文句の云えない良い所てす。第二に多分にアパート的とも云えるでしょうか 各人個室を持っていますので自分だけの生活にひきこもりがちなのです。寮、特に学生寮が持つ若々しい雰囲気に乏しいかも知れません。
 第三に寮生は期せずして紳士であることです。豪傑、サムライ、バンカラ、モサなどという名をかりて不逞を働く輩の居ない寮であります。全体的に学生寮の要素も持ち下宿の要素も持つよきHomeであります。役づきは二人います。仕事とてありません。会計にとっては寮費をいかに安くするかが、いつに変らぬ仕事であります。寮のオバサンに云わせると会計の変るたびにそのやり方が変るけれど、みんな前に誰かがやったことを繰りかえしてやるだけで、「又か」と思うそうです。けれど新会計にとっては自分こそ何か奇蹟でももたらして寮費を安くしようと意気込むのですから方針の変るのはしかたのないことです。現在寮費は3、700円前後を上下しています。数字だけ見ると高い様ですが贅沢は何一つしていないのです。寮費が高いという点以外では我々の寮は実に住心地のよい寮と云わねばなりません。寮の庭には西洋梨の木が1本ありまして春秋に我々の話題となります。5弁の白い花は美しいものですし、薄茶色の瓢箪様の実は実に素朴な味がいたします。数年前には畑も作っておりましたが、現在は牧草の繁るに任せて放ってあります。以前より食糧事情が好転したわけではないのですが、百姓仕事がめんどうで自然消滅しました。遊ばせておくのは勿体ない気もしますが、青々とした牧草を便所の窓から眺めるのも悪くないもんだと思っている人も居るかも知れません。冬になって、ここに積る雪は春の雪どけまで処女雪として残っています。今頃なら寝っころがって空でもながめたらよい気分でしょう。時々他人が入ってきてひっくりかえっているのを見かけます。なんだかんだ云っても無事に今年を越して来年の新学期にはMemberも変りましょう。いつに変らず天災、人災にあわず寮が建っていてくれるのを寮生皆んな願っているのです。
               (林記)