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米沢有為会会誌復刊6号(昭和32年7月発行)
興譲館だより(昭和32年、1957年)

東京興譲館

 東京の中枢を環状に国電が約4分の間隔で走っている。その環状になっている山手線の内側の西大久保の地に東京興譲館は位置している、この都心にしては静かな落着いた環境の中に現在28名の舍生が学生生活を営んでいるという訳です。敗戦の後、幾多の困難を経て、東京興譲館も漸く、整備された学生寮として確実な発展を遂げたといわれています。これまでの多くの方々のいろいろなご努力、また我々がこの様な恵まれた環境で充実した学生生活を送れる事に先ず感謝したいと思います。年が変われば興譲館舎生の構成員も大巾に変わって来ます。卒業退舎する先輩諸兄、入学新入の舎生諸君と春のいわば新陳代謝は今年もスムーズに行われました。夫々の学窓を終えられ、夫々の方向に卒業後の生活の途を求められた卒業生は9名、代って、新らたに舎生として入舎された諸君は同じく9名と、春のメンバーの異動も無事終えた次第です。現在、館長に桜井凱夫先生、副館長には高橋俊竜先輩を仰ぎ、いろいろとご指導助言を戴いて居ります。舎生の顔ぶれは次の28名です。
  石 井 敏 浩 (教育大教4年) 白鷹町
  大 石 道 夫 (東大 理4年) 東京都
  大 武 良 治 (東経大経4年) 川西町
  小 口   進 (東大 工4年) 白鷹町
  高 橋   通 (明大政経4年) 米沢市
  佐 藤 瑳 登 (立正大経4年) 米沢市
  長谷部 英 吾 (教育大文4年) 長井市
  渋 谷 英 一 (東電大工3年) 米沢市 会 計
  菅 原 文 雄 (明大 文3年) 白鷹町
  田 村   亨 (日大 工3年) 米沢市
  予 葉   忠 (中大 法3年) 米沢市 庶 務
  酉 方 稔 雄 (法大 些3年) 米沢市
  橋 本 勝 典 (早大理工3年) 米沢市
  沼 沢 研 一 (教育大理3年) 白鷹町
  渡 部   章 (早大 教3年) 米沢市 委員長
  飯 沼 俊 雄 (理科大物理2年)米沢市 食 事
  大 河 原 忠 (立大 経2年) 米沢市
  小 関   薫 (中大 文2年) 米沢市
  庄 司 富 男 (日体大 2年) 米沢市
  藤 倉 駒 夫 (東経大 2年) 米沢市
  藤 田 智次郎 (早大政経2年) 米沢市
  吉 田 彰 郎 (東大 経2年) 米沢市
  相 浦 幸 治 (教育大教1年) 福井県武生市
  安 邵 孝 二 (理科大化1年) 長井市
  加 藤 方 也 (中大 商1年) 宮内町
  神 田 源 蔵 「専大商経1年) 米沢市
  寒 河 江 晃 (東薬大 1年) 高畠町
  益 田 長之進 (電通大 1年) 小国町
寮生活に関する些さかの批判-
 恵まれた謂わば桃源郷の如き結構な寮の雰囲気に溶け込み過ぎることは、我々の警戒するに値するものであるということを第一に強調したい。我々の寮は或る意味で、東京の基地でさえある。大いに外に向って活動の手を伸ばし、自己の鍛練を期して待つべきである。安易な態度で家庭的雰囲気に浸ろうとする空気があるとしたら、先ず打ち破るべきかと思う。気鋭の新入生もこういう四囲の空気に影響され、それこそ出鼻を挫かれてしまうとしたら、悪弊も甚だしいものだと思う。......しかし年と共に我々の生活態度の向上して行くことを期して自己批判はこの辺で一応止めます。

寮歌について......
 舎生の中から寮歌を作ろうという声が起り幾つかの試作品も出来たのではあったが、正式に寮歌という形のものを残し得なかっだのは残念に思われる。寮歌を舎生が口にすることによって、見事な寮の雰囲気を醸し出そうと強引にしたことが、実は不成功の原因だったかも知れない。近い将来どんな形式の歌であれ、気軽に口に出来る共通の歌が舎生の間から自然に生れるのを期待したい。

標準語について.........
 我々東北出身者は悲しいことに標準語を話すことが上手ではない。そこで寮の中で一つ言葉の訓練をやってみてはどうかの意見もあったが。結局は何もやっていない。寮の内では確かに便利この上ない米沢弁も、外へ出ては、余り魅力のある言葉ではなさそうだというよりも、仲々意の通じ難い言葉である様だ。標準語を巧く話せないことが、直ちに、自分等の考えを卒直に表現できないことに繋がるとしたら、早速その改善策を講ずるのが賢明なのではあるまいか。
 以上気の付くままに最近の東京興譲館舎生の生活の一端に甚だ紋切り型なものにはなってしまいましたが、簡単に触れた次第です。最後に寮生活その他について皆さんの積極的批判的ご意見を期待してこの稿を終えます。(石井敏浩記)
      東京興譲館    東京都新宿区西大久保4の170    (電話(36)6611)


山形興譲館

 みちのく山形は時折きびしい日がさし木立の森はいよいよ深緑を呈する頃となりました。
 最近市内に大沼、丸久各デパートを初め多くの高層建築やバーが立ち並び都会の進出の感を連想させずにはおられません。
 山形興譲館も開館以来、早や2周年を迎えようとしております。1周年記念祭は昨9月6日支部長篠田甚吉氏経営の篠田病院講堂に於いて舎生30名が一堂に会し催しました。開館に際し幾多の御尽力を下された支部の諸先輩の方々、並びに有為会の御父兄の方々に対し、改めてお礼の言葉が述べられ、支部長のお話などがありなごやかな雰囲気のうちに終りました。
 一日の講義から解放され、あすのエネルギーを蓄えるのに食事と風呂が最も効果があるらしい。今迄、館の筋向いにある銭湯に通っていましたが、副支部長、川井豊氏と、青木虎次郎先生が諸君の便を計ってやろうと心労し、置賜地方の市町を駆けめぐり、多大の補修費を拝受して下さったお蔭で、浴室と、それに部屋の修理、配線の取替え等が出来ました。近く娯楽室が出来る予定であり、自室でとじこもって奏でていたマンドリン、ギター及びバイオリニストが集まれば、立派な合奏編成が出来ることでしょう。31年度卒業生4名と米沢におる山形大学工学部専攻の学友5名を送りまして、新入舎生11名を迎え現在32名の舎生をもっています。今年度の卒業生は前年度の幸先よい前例にならって全員就職しました。
 希望と青春にあふれる新入舎生の歓迎会は5月8日千歳公園の護国神社境内で、桜観会と兼ねて行われメーターが上るにつれて、学生歌からジャズはては、作詞作曲の即席歌謡までとびだす等、音頭とりは大いに熱が入った次第。
 去る5月委員改選と同時に舎生同志の規則を定めることに決りました。それは例えば、運営の面で大きな支障を来たす滞納の問題がそれである。
 置賜と言う、限定された土地を基盤として成立している舎生個々人は、濃厚な人間関係の上に立っており、互いに家庭事情から生活史まで知っている場合が多い。そこで或る問題につき当っても非合理的な、交錯的な、温情主義に走って解訳し問題解決をいよいよ困難なものにするか、又は俗に言われる″融通″でそれが抹殺される恐れがあることである。
 それにこれと相俟ってセクショナルな自閉性の打開の為にも一役かうものと考えられこゝに規則が出来た訳です。それにより早速6月より食券制に切り換えた次第。
 次誌「興譲館だより」では安定した運営の線に沿って繰り広げられる多彩な生活記録を期待願います。尚、有為会山形支部先輩の特別な御計らいにより、代表4名が、仙台興譲館を訪問した際、先方の舎生の暖い心遣いと、運営の形成、内容それに慣習に至るまで私達にとって学ぶべき点の大きかったことを認めた次第です。誌上をお借りして感謝の意を述べさせて頂きます。
                                  (斎藤勇雄記)
  在舎生名簿
   教育学部
   4 年  遠 藤 賢太郎   米沢市
    ″   坂 野 啓 吉   長井市
    ″   高 橋 正 夫   米沢市
   3 年  荒 井 健 三   高畠町
    ″   安 部 嘉 徳   長井市
    ″   伊 藤 俊 幸   米沢市
    ″   後 藤 喜 一   米沢市
    ″   斎 藤 勇 雄   川西町
    ″   原 田 克 彦   宮内町
    ″   船 山 春 男   飯豊村
   2 年  雨 田 秀 人   米沢市
    ″   大 竹 周 次   宮内町
    ″   鈴 木 四 朗   米沢市
    ″   色 摩 貫 司   長井市
    ″   島 貫 正 彦   長井市
    ″   二 瓶   功   高畠町
    ″   横 井   薫   米沢市
    〃   佐 藤   修   長井市
   1 年  安 部 恭 夫   長井市
    ″   高 橋   勉   川西町
    ″   山 口 啓 舟   宮内町
  文理学部
   4 年  篠 田 洲 雄   米沢市
    ″   山 口 昭 郎   高畠町
    ″   山 下   倫   米沢市
   3 年  斎 藤 正 浩   長井市
    ″   西 村   啓   米沢市
   2 年  遠 藤 俊 一   飯豊村
  工学部
   2 年  青 木   卓   白鷹町
   1 年  舟 山 俊 三   小国町
    ″   目 黒 直 作   長井市
    ″   結 城 経 治   高畠町
  山形工業高校
   2 年  加 藤 昌 儀   宮内町

仙台興譲館

 「○○さん、時間ですよ!」「ムムム......」「○○さんテバ」「ハイッ」
仙台興譲館の生活は、朝の小母さんの声に始まる。とにかく毎朝、各人の希望通りの時間に起こさねばならぬ小母さんの苦労は大変なものである。「ハイッ」とは言ったものゝ、起きられる筈もない。昨晩は夜の明け白らむのも知らずに学問を語り、人生を論じ続けたのだから。人生のディレンマに陥ってもがき苦しむ自分に静かに聞き入り、やさしく励ましてくれた先輩!この時程先輩の有難たさを味わった事はない。もしもこの時先輩のやさしい助言がなかったら、自分は人生の敗残者になっていたかも知れない。こうして親身にまさる先輩後輩の縦の連りは連綿として続くのである。こうした関係は興譲館の最もすばらしい特色の一つではあるまいか。全く寮生間の愛情は肉身以上のものがあると思うのである。我々はこのすばらしい温床の中にあって全く幸福である。だが我々はこの温床の中で只ぬくぬくと育っていっていゝものであろうか。窓の外はひどい嵐である。だがこの嵐をついて出発せねば目的地には着けないのである。

 興譲館のゲマインシャフト的性格、伝統や慣習を重視した非合理な問題処理、はたまた家族的愛情に包まれた興譲館の中に、ひいては米沢人という一つカラの中に閉じ籠ってしまうという欠陥など、興譲館の全くすばらしい一面がそのまま種々の欠陥となっている事については、これまでこの欄でも縷々論ぜられて来たことであり、昨年の東京興譲館だよりでも真剣に取上げられていたが、果してその後各地ではどのようになっているでしょうか。
 仙台興譲館においてもその問題が度々取上げられ、論ぜられ、全員の自覚によって徐々に解決の方向に向っている。当興譲館は16名という少人数の為、ゲマインシャフト的性格が他より一肩強く、非合理な問題解決ということがなお一層問題となるのであるが、近頃になってようやく、なるべくめんどうな問題を起すまい、問題は陰で幹部連が適当に解決し(ごまかし)てしまおうというような傾向をなくし、すべて問題は全員の話合いによって合理的に解決するという体制がはゞ完成した。すべてこうした問題には各人の自覚が最も大切であるが、特にこの問題については上級生の方々がよく理解して下さった為、下級生でも誰でも不満な点、不審な点を堂々と発言できるようになり、すべての人の意見を聞くことにより問題が合理的に解決されるようになったということはすばらしい進歩であるといってよい。
 又温床的興譲館の中に、ひいては米沢人という一つからの中に閉じ籠ってしまうという欠陥も各人の自覚と、寮全休としての種々の試みによって徐々に解決されようとしている。即ち、各人は夫々の趣味に応じて、或いは学校の或いは社会の色々のサークルに飛び込んでなるべく多くの人々と交わるよう心掛けると共に、窓を大きく開け放って、米沢への関係の有無を問わず、また男女を問わず、級友なり知人なり隣人なりを積極的に招待して種々の交歓を行うよう心掛けられている。
 更には在仙寮連合への加入、興譲館附近一帯の学生や一般人との交歓なども計画されているが、これらはまだ実現されていない。
 こうして段々解決の方向に向っているのではあるが、しかしいずれにしてもそれらの解決はまだまだ不完全なものであり、特に後者については幾分解決のきざしがみえるにすぎないのであって、我々は今後共お互いに自覚し協力し合って長所はあくまでも伸ばし、欠陥は改めるよう益々努力を続けねばならない。      
 只これまで東京興譲館などより、縷々問題にされた館のアパート化の問題については仙台興譲館の場合は16名という少人数の為もあり、あまり問題とはなっていない。寮を単に自分のネグラと考え、人はどうあれ自分は自分でやっていくといった、団体の一員たる自分を自覚しないものは、互いに有形無形の忠告、助言を与えられ、次第に立派な共同生活者として成長していくようである。
 各地興譲館におかれましてもこれらの問題解決のため、なお一層の努力をされるよう希望してやみません。
 興譲館という所は更に在仙米沢地方出身学生のセンターとしての重要な役割をもっている。異郷に学ぶ同郷者同志が互いに助け合っていくことは非常に大切なことであって、学ぶ為にも米沢地方出身学生を主に対象とする。興譲館主催の春秋のピクニックは、重要な行事の一つとなっている(もっともこのピクニックには、前述の如き閉鎖性をなくすために米沢に関係のない人も参加する)又フォークダンスの会、文集編集、美術展覧会、コーラス結成なども計画されている。
 話は転ずるが、5月下旬山形興譲館の代表の方々が数名仙台興譲館にこられ、お互いに色々な問題について話合った結果、お互いの長所短所を再認識し成程問題解決の方法をも見出すことが出来たと同時に、両興譲館の間の親近感をなお一層深めることが出来たことは誠に貴重な成果であったと思っている。今後お互いの関係を益々緊密にする為、4興譲館相互の交流の機会を度々持つようここに提唱したい。
 余りにかたよった話になってしまいましたが、仙台興譲館の環境、なごやかな日常生活、年内行事などについては、これまでこの欄で度々先輩諸兄の名筆によって紹介されているので、ここに醜文をもって繰返すは蛇足も甚だしいと思い、敢えて省略する次第です。
 なお当興譲館の現在の構成員は、
   東北大 医3  渋 谷 多 助  長井高卒  総務
    ″  文4  平   丈 郎  米西高卒  庶務
    ″  法4  本 間 達 三  宮内高
    ″  文4  大 熊 徳 次  米西高
    ″  文3  大 浦 徳 昭   ″
    ″  工3  塩 谷   純   ″
    ″文(休学中)香 返 昌 紀   ″    文化
    ″教( ″ )佐 伯 和 重  長井高   厚生
    ″  経2  安 部 壮一郎  米西高   会計
    ″  工2  佐 藤 清 一   ″
    ″  工2  横 山 邦 雄   ″
    ″  法2  渡 辺   進   ″
    ″  法2  大 関 修 敬   ″
   東北大X線技術学校2 佐 藤  巌   米西高
   東北大 法1  佐 藤 二 男  宮内高
   東北学院大 経1 持 田 正 一  米原高
 今年は東北大合格者が少なかった為入寮希望者も少なかったのですが、前年度は20名以上も合格しており今後も相当の入学者があるものと思われ、それに対し、たった16名では余りに少なすぎる感がある。一日も早く増築が実現するよう有為会の皆様に切に切にお願い致す次第でございます。最後に有為会の皆様の御健勝をお祈りして筆をおきます。       (大関記)
     仙台市角五郎丁21 仙台興譲館(電話 (2)4790)


札幌興譲館

 北海道の春は、5月になると、夏と一緒にやってくる。梅と桜は殆んど同時に綻び咲き、桜が慌しく散ったかと思うとつつじやリラが、紅、白、紫の衣裳をまとう。花の季節だ。その頃はまた、緑の季節ともなる。4月にはまだ灰色の雲が空を蔽い、長い冬の風雪に打ち枯れた草木に、秋を想わせるような冷たいみぞれを降らせていたのだが.........。北大に遊ぶ者ならば誰しも、鬱蒼と繁るエルムの緑と目に眩い芝生の青さによって初夏の到来を知る。決して姿を見せないあの郭公もまた初夏の到来を告げる森の精の使者だ。
 ほの暗い燈火の下で、勉強や読書に励んでいる傍ら、ふと瞑想に陥ることがある。
 年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。

 今年もまた本寮は、2人の卒業生を送り、1人の新入生を迎えた。即ち、北大農学部農学科を卒業された山口尚君、札幌短大経済学部商学科を卒業された富沢利雄君が夫々山形北高等学校、北海道庁(国家公務員五級職)に奉職、新たに、一般教養部水産類に入学された林正俊君が東京有為会員、村山俊一氏の紹介で入寮致しました。
 さて、今回の興譲館便りは、寮生各人からの自己紹介を通して、近況をお知らせするという方法を取りたい。では、まず最年長者の今野君からどうぞ。
 今野儀兵衛。生粋の米沢興譲館中学出身。山大の工学部を卒業してから北大の大学院に来て現在は石炭化学を専攻。石炭から最も経済的に化学薬品を作り出す方法を考案しているところ。時折、人間関係というものは、全く化学上の法則に合致しているのではないかと錯覚することがある。趣味はテニス、日曜日毎に後輩の丸山君をコートに連れ出し、腕を練つている。
 丸山義皓。山形南高の産。大学院ドクターコースで農業経済学を専攻。研究テーマは「生産経済学の社会的(競争的)基礎」。先月東京で行われた学会に顔を出し、一寸報告(咆哮!?)してきました。趣味はピンポン、スケート。何れもフォームはよくないが、速球、速走に自信あり。     
 藤田浩也。山形南高出身。北大医学部4年目。将来は内科を専門にするつもり。特技として弓道、茶道を修練中。愛読言は主に探偵小説。好みは純日本型。たとえば高千穂ひづるの如き美人のファンです。
 佐藤道男。旭川東高の産。札幌医大4年。専門はまだ決まっていないが、メスを持つ方に魅力あり。趣味は読書、音楽映画等万般に及ぶ。寮の会計としてゲルピンには全く音を上げています。金庫には月初めを除いて3,000円と入っていることがない。嗚呼。
 井上昌平。山形南高出身。北大文学部国文科4年。古典を研究するには、北海道の風土は、一寸異質的で、平安朝時代の大宮人などといわれてもぴんとこない。洒をほんの少々?嗜み、それが結構趣味となっております。
 丸山保治。米沢西高の産。現在北大3年目鉱山工学を専攻。趣味はクラシック音楽鑑賞、硬式テニス、冬はスケート。飲んでいる最中はそうでもないのに、二日酔で寝こんでいるときはしきりに親の顔が浮んでくる、というのが近頃の感想。
 上野紀四郎。東京都立豊多摩高出身です。北大一般教養部理類2年目。農学部志望、将来、一粒-一粒ですぞ―で腹いっぱいになる米を創作したい。趣味は園芸、時代劇、キングの歌謡曲、アサネ。希望は早く碁が上手になって本因坊に二目おかせて勝つ事。
 米村健晃。米沢西高出身。一般教養部医類2年目。将来については、別にひとかどの人物になろうなどという野心はない。唯人間と生まれたからには人生に深入りしてみたい。趣味は音楽、映画、絵画鑑賞、スポーツはスケート、水泳それに近頃はタンツェンを覚えました。映画「我が青春のマリアンヌ」を見て以来、今だにハイソゲンシュタツトが頭から離れず南ドイツの緑に憧れています。
 三原信義。山形楯岡高校出身。一般教養部理類2年目。趣味格別なく、モーローというべきか。読書、夢想を愛好す。極めてデカイ大志あれど、開陣するには時期尚早。
 西沢俊治。名古屋東海高校の産。一般教養部理類2年目。志望は工学部。体重19貫あまり、体格は恐らく寮一でしょう。但し神経は至って細やか、その証拠には現在卓球部の選手として活躍しております。
 林正俊。日大三高出身。一般教養部水産類に本年入学。趣味道楽はとりたてゝいうべき程のものなし。碁、将棋、マージャン、洒はこれから先輩の指導宜しきを得て練習する予定。
 山下和夫。山形南高の産。大学院ドクターコース1年。専攻は西洋中世史。封建的支配権力が解体して近代的な国家権力が形成されるまでのプロセスを研究テーマとしている。ニュース映画などで観られるように、科学や技術が未来を語っているのに、トツクニの何百年も前のことをやって悠然としているのは些かヤクザじみしているところがあるから。尚本稿の執筆者。
 以上で自己紹介は終りますが、寮生一同が揃って行う行事は、卒業並びに歓迎コンパ、年2回の大掃除、それから今年はまだやっていないが畑作り―これは野菜類に乏しい北海道にあって、寮生の重要な栄養供給源となる―等々である。このような行事を率先して最も元気よくやってくれるのは1年目や2年目の諸君だ。
 寮生否日本の学生の多くは、殆んど決して裕かとはいえない家庭の出身といえよう。4年間の大学の学生生活も一瞬にして過ぎれば、やがては実社会に出て働かなければならない。上級生になればなる程、底抜けの明朗さが失われていく原因の一つは、そうした自覚が生れてくるせいであろうか。
 最後に毎年夏になると、中央から北海道に旅行され、当寮に宿泊して行かれる方が多い。それでこちらから中央に旅行する際にも、何かと便宜を計らって下さる様、とくに仙台、東京興譲館の皆様にお願い申し上げます。
      札幌興譲館 札幌市北七条西十二丁目                  (山下記)