米沢有為会会誌復刊28号(昭和54年6月)
興譲館だより(昭和54年、1979年)
東京興譲館
ひとつの目的があって、その目的を、いろいろな制約条件のもとで最大にすることを、(数学的に)最適化という。寮のように、規模が大きく、構成要素が確率的価値観を持つ人間である以上、これを全体として直接最適化することは多くの場合困難である。したがって、個々の問題を寮をシステムとみなした時のサブシステムとみなし、その目的に関して最適化することを中間段階としてとる必要がある。ここで我々が気を付けなくてはならないのが、部分的最適化は必ずしも全体の最適化を意味しないことである。新寮生の入寮とともに、今年も各種コンパ、合同ハイキング、春の旅行と行事も進行していく。近年これらの行事の有りかたを考える時、我々は少し制約条件を気にしすぎ、全体の目的を見失なってきたような気がする。寮におけるコンパとは、単なる宴会ではなく寮生相互の親睦を深め、そこから寮の存在意義にも至る我々の共通の目的へ前進する為の一手段であることを考えると、「酒を浴びてこそコンパだ。」「いや、酒は飲みたい時に飲んでこそうまいのだ。」というこの種の議論も結論が見えてくる筈である。
米沢での新年会、成人コンパ、追コン、新勧コンパ、合ハイ、寮祭と行事は多いが、何年も続くうちに、我々はそれが寮生活の中でどのような位置を占めるべきかを忘れ、一つの独立した問題として最適化してきた。確かにコンパは1年生から4年生まで等しく楽しめるようになり、寮祭は例年盛況になり、各人の普段の生活も充実してきた。これらの事は、卒業してからも良い思い出となるだろう。がしかし、我々が良い思い出としたいのはこれらの行事ではなく、寮の生活それ自体であることを忘れてはならない筈である。
東京興譲館が80年代に大きく飛躍する為にも、この70年代最後の年に、個々の問題の最適化を修正しながら全体の最適化を実現するという分解原理のような方法で、寮における学生生活の完成を目指さなければと思う。
最後に舎生を紹介します。(注)
(編集注)会誌では舎生名簿が欠落していたので、以下の名簿は、前年および翌年の舎生名簿からの推定である。
4 年 生
荒 木 謹 厚 (国士館大 政経 経営)
井 上 和 広 (国土館大 政経 経済)
高 橋 真 (日本大 商 商業)
戸 田 敏 男 (国士館大 工 建築)
長谷部 正 男 (日本大 商 商業)
前 山 健 二 (国士館大 政経・経営)
皆 川 浩 一 (高千穂商科大 商)
3 年 生
佐 藤 恵 次 (法政大 法 法律)
情 野 武 志 (日本大 文理 心理)
宇 野 広 一 (中央工学校 建築)
小 関 利 之 (法政大 経済)
熊 沢 広 二 (駒沢大 経営)
尾 形 良、雄 (東京経済大 経済)
志 田 正 伯 (中央大 経済 国際経済)
山 田 新 一 (東京経済大 経済)
山 口 耕一郎 (日本大 理工 薬)
土 屋 宏 (東京電機大 工 電気通信工学)
大 友 久 雅 (横浜国立大 工 金属工学)
遠 藤 陽 一 (東京農業大 農 農業経済)
2 年 生
玉 木 啓 一 (早稲田大 教育 体育専修)
佐 藤 芳 明 (立教大 法 法学)
岩 瀬 行 弘 (法政大 社会 応用経済)
後 藤 義 之 (専修大 経済)
森 谷 宏 之 (専修大 経営)
情 野 敏 (東京農業大 農 農芸化学)
近 野 富 裕 (東京農業大 農 栄養)
本 間 勤 (工学院大 工 電気工学)
今 井 康 広 (明治大 文 英米文)
山 口 昇 一 (明治大 法 法律)
佐 藤 栄 二 (早稲田大 社会科学)
1 年 生
青 木 徳 隆 (東京理科大 理 物理)
稲 村 修 (神奈川大 経済 経済)
太 田 美 徳 (専修大 経済 経済)
下 平 俊 之 (二松学舎大 文 中国文学)
鈴 木 誠 吾 (神奈川大 法 法律)
寺 瀬 隆 則 (亜細亜大 法 法律)
吉 田 敏 浩 (法政大 工 土木工学)
仙台興譲館
今年は暖冬。ここ杜の都仙台でも桜が咲き誇り、道行く人も足を止め、その華やかさに心を奪われ、春の香を体一杯に感じています。われわれの寮の前の桜も満開で仙台で最も美しいのではないかと思われるほどです。しかしこの桜もやがて散ってしまうようにこの寮から去っていった人もいます。それはしかたがないことではありますが、なんといっても寂しいものです。そんな中、元気のいい1年生を始めとする8名の仲間が新たに加わりました。きっとこの寮をさらに盛りあげていってくれるでしょう。大いに期待しています。
さていろいろある寮の行事の中で寮生が最も楽しみとし、色めきたつものは何か。それは合ハイなのです。すなわち年2回他の寮など(ただし女性ね)と合同にハイキングをすることなのです。その日が近づくにつれ、活気ある寮がますます光輝くようになってきます。しかしここに昨年残念なことがあったのです。「合ハイの日は雨が降らない。」そのジンクスが音をたてて崩れ落ちたのです。しかも春、秋と2回にわたってでした。これは新寮生に雨男がいるのではないか。などと話が発展したりして、しかしそれはそれでまた楽しいものでした。新歓コンパなど大勢で酒をくみかわしながら騒たてる。2、3人でいろいろ語り合いながらしんみりと飲む。昔ほどではないにしろ、われわれは学生時代を満喫しています。寮という団体生活の中でこういった人と人とのつながりがいかに大事かを改めて痛感します。いろいろな人と話し合い、意見をぶつけ合い、そこから何が生まれるか。われわれはそこからそれぞれの真理を見つけだすのです。悩み苦しみ、叫び呻く。生きている証です。毎日を大切に生きる。使い古された言葉ではあるけれど、移り変わりゆく季節の中で一段としみじみと感じます。われわれ仙台興譲館は優しい寮母さん共々、生き生きと前進していくつもりです。
上 杉 則 彦 東北大 工(大学院)
渡 辺 雅 訓 東北工大
鈴 木 祥一郎 東北大 理
梅 津 仁 司 東北大 工
吉 村 浩 東北大 経
佐々木 泰 次 東北大 工
遠 藤 周 東北大 文
槙 山 正 春 東北大 文
清 水 潤 東北福祉大
高 橋 邦 彦 東北福祉大
梅 津 勝 東北工大
漆 山 茂 東北学院大 文
赤 木 亮 東北福祉大
竹 田 浩 行 東北大 理
半 田 和 彦 東北大 文
蔵 俣 邦 彦 東北学院大 法
以下は新寮生
高 橋 賢 二 東北大 教育
後 藤 源一郎 東北大 法
島 倉 誠 東北大 農
寒河江 忠 篤 東北大 工
五十嵐 浩 幸 東北大 理
鈴 木 泉 東北大 農
菅 野 和 弘 東北学院大 文
我 妻 明 東北工大
札幌興譲館
ここ札幌は、例年よりかなり暖かかったとはいえ、それでもかなり寒い冬がようやく過ぎました。しかし、本格的な春の訪れにはまだ至らず、暖かい日が2・3日続くとその後に寒い日が2・3日続くといった不安定な天気です、それでも少しずつ、春らしい気候になってくるのが感じられます。我寮では、昨年度5人の卒業生があり、そのうち3人の優秀な人材を社会に送り出しました。また、今年度からアパートヘ移る人もいて、寮内は非常に静かになり、寂しい限りでした。しかし、4月に7名もの新入生を迎え、再び活気のあふれる寮生活が戻ってきました。また、新入生だけでなく、他の寮生にも新年度にかけるなみなみならぬ意気が感じられます。
我寮は定員17名と寮としては少ない方であり、その中で7名も新入寮生ですので、昨年度とはかなり寮の雰囲気、あるとしたら寮風というものがかわると思います。しかし、それはただなんとなくかわったり、まったく突然にかわるものではありません。それは、今までの我寮の先輩の皆さんが培われたもの、また、有為会の皆様に培っていただいたもの、それに寮の上級生か今までの寮生活で培ったもの、それらを基盤として新入寮生の新しい考え方、感覚を取りいれて新しい寮風を築きあげていくものだと思います。その点においては、我寮は自由な発言を歓迎する雰囲気と提起された諸問題に答えうる優秀かつユニークなパーソナリティーを備えており、なんらかの働きかけを行えば必ずや得るものがあるもと思います。そしてその中で自分なりの有意義な寮生活が生れ出てくるようです。
話はかわりますが、寮母は、昨年度に引き続き、小黒キミコさんに御願いできることになりました。まことにわがままな寮生を御世話していただき、本当に感謝しております。また、長年市役所から要請のあったトイレの水洗化や雪止めも有為会の皆様の取り計いで実現でき、誠にありがとうございました。
このような有為会の皆様のバックアップのもとに、我々寮生は学生の本分である勉学はもとより、クラブ活動やその他の社会勉強に後で悔いの残らない、充実した学生生活を送りたいと思っています。
最後に本年度の寮生を紹介致します。
大学院生
岡 崎 修 三 北大理学研究科
丹 野 久 北大農学研究科
4 年 目
五十嵐 敏 彦 北大理学部
笹 原 幸 也 ″
後 藤 紀 夫 北大法学部
3 年 目
五十嵐 武 徳 北大工学部
佐 藤 清 二 ″
2 年 目
安 達 勝 茂 北大教養部
佐 藤 一 穂 ″
関 博 貴 ″
1 年 目
船 本 昌 幸
佐々木 雅 夫
鈴 木 哲 史
黒 沢 政 浩
堤 啓 一
高 橋 健太郎
荒 木 正 也