米沢有為会会誌復刊25号(昭和51年6月)
興譲館だより(昭和51年、1976年)
東京興譲館
先日、高校時代お世話になった先生にお会いする機会があった。先生は私が興譲館寮にいることを知っておられ、「寮は風紀がよいのだろうな」と、尋ねられたのである。残念ながら、先生の口ぶりからして、あまり良く受けとめられていないようであった。私の聞いている限り、学生寮に対する世間一般の印象も、どうもあまり良いものではない。昨年、東京商船大学の寮で、酒の飲み過ぎによる死者までだしている。こんな事件が起これば、ますます寮に対する世間の眼も厳しいものになってくるのであろう。興譲館寮では、もちろん酒による死者まではだしていない。それどころか、勉強する場も、下宿生活の人には味わうことのできない交流関係をもつ場も提供されている。これら提供されている場をどう利用するかは、この寮で何を考え、どう行動するか、結局本人の意志にかかっていると思うし、また先生にもそうご返事しておいたのである。もちろん、その行動範囲がどこまでも自由というわけにはいかない。集団生活である以上、そこに一定のルールがあり、これを超えてする行動は批難されるべきである。これに加えて社会的道徳観念の考慮といったことも必要である。先程の酒による不祥事などは、この欠如によるものであり、その他、度を超すことがあってはならない。
話は変わるが、2月10日に、この春卒業された17名の先輩のための予せん会が行なわれた。これら先輩の1人1人のあいさつのなかで、こう語られた人がいた。「私が寮に入った当時と、こうして寮を去っていく今とを較べるとずいぶん寮の感じが変わった。......」と。このことは「4年間もたてば寮に住む人間が違うのだから、寮の感じが変わってくるのもまた当然。」と言って、簡単にかたずけられることではない。考えてみるだけの価値はあると思う。
10年ほど前から興譲館の寮生を知っているという、ある老人にお会いしたことがある。この老人は、昔はもっと"バンカラ"であったと話しておられた。なるほど、現在ほど大学への進学率が高くはなく、極く限られた者だけが進学した昔である。そういう時にあっては、青春時代でもある学生時代を、彼らだけに与えられた特権としておおいに謳歌した時代なのかもしれない。そういう学生が住む寮の雰囲気が、10年前までは残っていたのだろう。
だが、高度経済成長に支えられ、社会経済が大きく発展し、大学への進学率もまた上昇した今日である。そういう状況のもとで育ち、そして高校を卒業した我々が住む寮とでは、異なるのも無理はない。それは社会的、歴史的背景の変遷が生んだ当然の結果でもある。とは言っても、我々が学生時代において大学、寮等々に対して何も考えないということでは決してない。やはりそこには、我々だけが考えぬいた主張というものがある。そして、寮生40何名かのこの主張の堆積物が現在の寮の姿であり、また社会的、歴史的背景の変遷に伴なうこの主張の変化といったことが、寮の歩む方向なのであろう。これは必ずしも長期間の時間を必要とする性格のものではなく、極く短期間に少しづつ変化するものでもある。こんなことが、ある先輩をして、ああいうふうに言わしめたのかもしれない。
○ 寮 生 紹 介
大学院
菊 地 隆 雄 大東文化大、文(中国文学)
小 野 庄 士 東京学芸大
土 屋 文 明 東京学芸大
4年生
安 部 善 明 早稲田大 法
長 俊 彦 星薬科大 薬学
青 木 厚 夫 専修大 経営(経営)
本 間 敏 治 専修大 経営(経営)
森 谷 国 弘 東京教育大 農(農村経済)
真 石 博 文 専修大 経営(経営)
寺 島 博 電気通信大 電気通信(電子工学)
3年生
木 村 弘 信 東京大 理(数学)
戸 田 友 一 東洋大 文(哲学)
平 卯太郎 早稲田大 理工(電気工学)
鈴 木 久 夫 法政大 経済(経済)
後 藤 仁 法政大 法(法律)
相 馬 茂二郎 明治大 政経(経済)
島 貫 正 夫 慶応義塾大 法(法律)
高 橋 和 宏 専修大 経済(経済)
赤 間 俊 明 東京経済大 経済
2年生
山 田 栄 造 中央大 法(法律)
鈴 木 実 明治大 法
吉 田 健 一 早稲田大 教育(教育心理)
渡 辺 洋 男 立教大 経済(経営)
高 橋 泰 嗣 電気通信大 電気通信(電子計算機)
伊 藤 秀 一 法政大 社会(社会)
山 崎 宏 東京経済大 経済(経済)
山 下 芳 昭 千葉商科大 経済(商業経済)
鈴 木 伸 平 東京農業大 農(農業拓殖)
宮 内 良 二 日本大 商(経営)
福 地 賢 二 桜美林大 商
市 川 長 文 上智大 経済
山 口 清 樹 電気通信大 物理工学
1年生
荒 木 謹 厚 国士館大 政経(経営)
後 籐 雄 二 明治学院大 経済
佐 藤 忠 志 日本大 文理(社会)
土 屋 克 彦 法政大 工(経営工学)
長谷部 誠 明治大 政経(経済)
長谷部 正 男 日本大 商(商業)
前 山 建 二 国士館大 政経(経営)
皆 川 浩 一 高千穂商科大 商
宮 坂 敬 章 東京農業大 農(農業工学)
山 下 秀 明 干葉商科大 経済
高 橋 真 日本大 商
戸 田 敏 男 国士館大 工
仙台興譲館
今年は例年になく暖かい春先で、桜のつぼみもほころびかけております。やがて寮の玄関わきにある桜の木も、枝いっぱいに花を咲かせ寮生の目を楽しませてくれることでしょう。美しい青空の下、広瀬川の流れを聞きながら、学生達がスポーツをしたり遊んでいる姿を見ておりますと、今年はどのような1年になるのだろうかと思われてきます。昨年を振り返ってみますと、いろいろな面で大変な1年だったようです。深刻な就職難は相変わらず続いており就職口をさがすのに苦労していたためか4年生の顔には心配の色が絶えませんでした。職場訪問や職場説明会に参加するなどして積極的に行動し、就職口を見つけるためにがんばったようでした。このような就職難は一刻も早く過ぎ去ってほしいものです。
当寮における昨年の大きな出来事といえば、毎日の食事やそうしなど私達の身の回りの仕事をやってくれていた、とても気さくな寮母さんが昨年11月いっぱいでやめてしまったことです。寮母さんは山形の人で、大変よく私たちのめんどうを見て下さいました。寮生にできるだけ安く、できるだけおいしい食事をと思いわざわざ自転車で遠くの市場まで出かけ、たくさんの食糧を買い込んできてくれたものでした。そうして中庭でさんまを焼いてくれたりするなど『心のこもった、あたたかい食事』ということを心がけておられたようです。寮生を自分の子供のように思って世話してくれたおばさんが山形へ帰ってしまうということは非常に残念なことでありましたが、しかたがありません。1年間という短い間ではありましたが寮生一同深く感謝しております。寮母さんがやめてしまう、と聞いたときには再び、自炊の季節の到来かと思われましたが有為会に相談にいきましたところ、新しい寮母さんが見つかったという嬉しい返事があり寮生一同安心しました。その新しい寮母さんも5か月目に入り、寮の仕事にも慣れてきたようです。
そんな目まぐるしい中にも楽しい事が数々ありました。新歓コンパや春の合ハイなどは例年通りに行なわれ、更に、秋のいも煮会が数年ぶりに復活しまして、一段と楽しい諸行事となりました。寮生全員が集まってレクリエーションをやることが少ないだけに、太陽の下での野外活動のときなどには寮生も子供の頃に帰ったように、元気にはしゃぎまわったものでした。
今年も新入生が3名寮生活を始めることになりましたが、残念なことに退寮生が多いために旧館では一人部屋が多く例年になくさびしさが感じられます。そんなさびしさをふきとばすためにも、新入生を中心にして寮の行事に積極的に参加し、寮生活を楽しいものにしてほしいと思います。
最後に、寮生を紹介してペンを置きたいと患います。
<寮 生 名 簿>
海 野 洋 東北大 理(大学院)
関 猛 東北大 文
大 場 正 博 東北大 工
遠 藤 雅 弘 東北大 経
渡 部 明 夫 東北大 工
清 水 智 誠 東北学院大 経
高 橋 修 一 東北工大
小 浦 今朝雄 東北大 工
佐 藤 政 司 東北大 理
山 口 浩 東北大 工
渡 辺 雅 訓 東北工大
武 藤 司 東北工大
安 部 俊 明 東北工大
石 塚 諭 東北福祉大
星 裕 元 東北福祉大
我 妻 広 司 東北福祉大
上 杉 則 彦 東北大 工
佐 藤 茂 次 東北大 農
鈴 木 祥一郎 東北大 理
小 林 陽 一 東北大 工
錦 斗 美 夫 東北大 農
後 藤 則 夫 東北大 工
船 山 政 志 東北福祉大
「新入生」
荒 木 慎之輔 東北大 歯
吉 村 浩 東北大 経
梅 津 仁 司 東北大 工
計 26名
札幌興譲館
北国の地にもようやく春が訪ずれ、街は日増しに色ずいていきます。それでも花見酒の季節にはまだだいぶ間があるし、時々また冬にも戻ったのではないかと思われる日もありますが、それはなにせ北海道のこと、やがて駆足で春がやって来ることはお見通し、気ままな春にはもう慣れっこなのです。春の訪れとともに大学も始まり、寮にも新しい顔が3つ加わりました。ここでは桜の花もまだ開かぬ4月の末に新入生歓迎のコンパが行なわれ、桜見物はそれからということになります。昨年度の新歓コンパにおきましては、新入生が多かったことにもよりますが、例年になく元気がよく、女子寮にストームをかけた際、非常なる歓迎をうけました。新入生の内にはその元気のよさを買われたのか、その後女子寮の学生より注目されたものもおりました。もちろん彼は新入生でもあり、その後話を進展させた気配を我々には見せませんでしたが。とにかく、こういったふうに、例年同じようにして新歓とともに春を実感するわけです。
もちろん来る春に思いをよせることでしか春を実感できないというのではなくて、札幌にだって春は確かにやって来ます。5月の初めには桜の花も開き、円山公園の桜の木の下には大勢の人が集まります。我れら寮生も昨年桜見会なるものを催しました。当日は桜の花の上に雪でも積るのではと思える寒い日でありましたが、酒を飲むほどに各人の出身校校歌が飛び出し、しばしば下界のことを忘れ、至高の世界に思いを馳せ、あらぬ思いのために悪いカゼでもひかぬ程度に遊んでまいりました。今年は新入生が3人で寂しい花見になるかもしれませんが、今年も必ずやりたいと限っております。
春もやがて過ぎ初夏を迎えるころになりますと、札幌はこの世の楽園です。雨はほとんど降りませんし、チョウチョは芝生の上で日なたぼっこをし、すべてが動いて見え、我れらが寮生全員、この札幌の自然と親しみ、かつ馴合う季節であります。北海道の大学では五月病の代りに六月病というのがあるそうで、たぶんこれは、こういった北海道の特殊な風土が生んだ一種の風土病だと思われますが、この病気の流行の最中、事もあろうにふられダンパなるものが催されます。その結果たるものつねに期待とは裏腹に思わぬものに終わるわけです。寮生の内にはそれを思わぬ結果と呼ぶ了解が一応出き上がってはおりますが、内心はどういうものか神のみぞ知るです。
遅すぎた春、短かい夏と続いた札幌の四季も夏休みが終るころには秋へと移ります。10月の初旬には遠く故郷のことを忍びつつ芋煮会が催されます。普通の靴がはけるのもせいぜい10月末までで、11月が初まるころには雪が降り出します。雪の降らぬうちにと寮ではせっせと冬ごもりの仕度をし、さらに冬の間中に運動不足で死んでしまってはつまらぬと、様々なスポーツの行事が聞かれます。昨年の秋も寮内でのソフトボール大会の外、寮対抗の色々なスポーツ大会が催されました。バレーボール1位、ソフトボール2位、卓球4位、バスケットボール最下位、と成績はまちまちでしたが、こういった大会があったおかげで寮生も無事この冬を越すことが出きた次第です。
それでもやはり寮生が運動不足がちな3月の初め、卒業生の追い出しコンパがおこなわれました。この度の追コンは卒業生が2人でちょっぴり寂しめでしたが、卒業生も大学生活最後の忘我の境地を満喫したようでした。
以上が昨年度の寮のあらましでしたが、今年度もこのようになるであろうことは明らかなことであります。新入生も例年のごとく、例年のような顔をして入ってまいりました。ただ今年は北大が創立百周年を迎えることになり、さらには札幌興譲館が建立以来50周年を数えることになりました。当寮におきましても有為会の方々の御協力を得、9月ごろにはそれに関した行事が催されることになり、目下準備を進めております。
寮も新しい時代に入ることになり、寮生も自覚を新たにしたいと思います。
最後に寮生を紹介して終わります。
○大学院生 、
海老名 寛 北大農学部
○研究生
鈴 木 哲 助 北大理学部
○4年目
北 条 成二郎 北大工学部
孫 田 敏 北大農学部
松 田 和一郎 北大農学部
○3年目
松 田 正 北大工学部
横 山 昭 則 北大文学部
○2年目
久 松 宏 志 北大教養部
鈴 木 高 志 北大教養部
五十嵐 敏 彦 北大教養部
川 崎 史 郎 北大教養部
鈴 票 英 次 北大教養部
丹 野 久 北大教養部
奥 山 信 也 北大教養部
○一年目
山 口 正 敏 北海道薬科大
後 藤 紀 夫 北大教養部
笹 原 幸 也 北大教養部