米沢有為会会誌復刊11号(昭和37年8月発行)
興譲館長だより(昭和37年、1962年)
東京興譲館
明治42年に開館されて以来今日まで脈々とその生命の火を燃やし続けている東京興譲館の生活と雰囲気をお知らせいたします。現在28名、東京の大学で勉学している舎生が寝起を共にし、それぞれの個性と知識との錬磨に時に学び、時に語り青春の情熱を爆発させては自己の進み行く方向をしっかりと目指し、自己の能力を最大に発揮させるべく心掛けております。
東京興譲館は自治寮ですから寮全体としての統一もまたなされていることはもちろんのことです。寮の規律の中において他人を尊重し、己を尊重し、故郷を離れて東京に学ぶ学生の良心をもって今までに築あげられたこの興譲館の有形無形の伝統に、我々の育てあげる雰囲気で新たなる歴史と伝統とを加えようと努力して舎生が生活していることをますお知らせいたします。
こういった意味からも編集部の人々が中心になり企画された講演会のことを次にお知らせします。これは各界にご活躍されている先輩をお招きして、体験や学問上のお話をお聴きし、我々の知識や物の考え方をより広くし、あわせてともすればうとくなりがちな先輩の方々との密接化を計ろうという趣旨のもとに企画された行事です。
第1回目は1月に成人式を行ったさい平貞三先生においでいただき行ないました。お話しは先生の体験をもとにした有意義なお話しで今までの成人式になかった雰囲気をかもしだし、この行事はまずさいさきの良いスタートをきりました。
ついで4月、新入舎生歓迎会に大熊信行先生にお話をお聴きしました。それで新入生に望むということをも含めてお話をお願いいたしました。先生は日本人の物を観ることの下手なことを述べられ、物をもっともっと良く観ることの必要性を強調されたのでしたが、我々が物をもっとよく観るよう教えていただいたことは今後の生活のすべてに非常に役立つであろうと思われます。
また6月には米国視察に行ってこられた小幡館長に、アメリカ見たまま感じたままのお話をお聴きしまた1つ我々は知識を深くしたわけであります。以上今年3回先輩よりお話をお聴きしたのですが今後もこの行事を推進したいと考えております。こういった機会は先にも述べました我々の知識、物の考え方をより深くし先輩の方々との親近感を増すことに極めて役立つことがこの3回の企画より立証されたからです
現代は運動することが非常に少なくなったと言われております。古くより"健全なる身体に健全なる精神"といわれておりますが次に舎生の身体調整、運動方面についてお知らせします。我が興譲館には近所の人々にうらやまれるぐらいの空地があります。これを利用してこれまで、レジャーと相手をみつけてはキャッチボール、相撲、バドミントン等に興じては身体を鍛えてきたのですが、6月より毎週フォークダンスをやり楽しみながら身体を働かしています。目新しいものに飛びつきやすいせいか1年生から4年生までまた運動神経ゼロの人も適当にでてきては盛大にフォークダンスをやっています。
近いうちには舎生の身体をより立派にするためバーベル等の器具をそろえる計画もあリます。このように何をするにも基になる身体を鍛えて今後に備えようというわけです。(近い将来ミスター日本なども生れるかもしれません.........寮の飯がもっと良くなったら。)
近年めっきり舎生が各々の大学においてクラブに加入して活躍することが多くなってきました。このことは昨年ごろから東京において置賜出身者の学生の会を作るという気運がもりあがっておりますがそのさい興譲館舎生が多数中心になっていることと合せて、置賜人にともすれば欠けがちな積極性を持ってきた1つの現れであると思います。
ごたごたと寮の様子をお知らせしましたが東京興譲館は舎生の総意により、我々の若さでなごやかでそして規律ある家庭的な社会生活を行なっています。なおかつ個人、個人を尊重しお互いに切瑳琢磨し前進の方へと進んでおります。一言にしていえば。"和而同不"の生活です。
先輩の方々がお暇の折など我らが東京興譲館をおたずね下さり、我々の生活を観、お話をお聴かせ下さることをお願いし舎生の紹介をいたしまして筆を置きます。
< 新 入 舎 生 >
今 井 利 男 早大商
剣道二段、酒、相撲極めて強く気はやさしくて力持ち、特技まきわり。
小 野 仁 中大商
歌が恋人、日曜にはきまってうた声喫茶にでかけ美声をはりあげている。
上 村 正 和 工学院大機械
ズウズウ弁の大嫌いな男、ズウズウ弁で話すと赤くなりうつむく。そのくせ東京弁で話せぬ男。
小 島 邦 浩 東薬大
自称女にモテル男、将来誰もがモ(持)テル薬を作るために猛研究。
斎 藤 亜基夫 早大教育
一見、吹けばとぶよう、適当な女らしさをもつ。暇を作っては山へ行く山男。
島 貫 祐 輔 教育大体
山ショウは小粒でも辛いの例。訳の解らぬ外国の歌が得意。
樋 口 正 宏 早大理工機械
まだ童顔の美少年、機械科らしく機会を見つけては昼寝をするのが得意。
高 瀬 勝 早大理工建築
ザッコツリが好き、酔えばとんでもない歌がでる。百階のビルを作るとか。
金 子 健一郎 法大経
ヤサ男気のある三枚目半、ウエットなギター狂。
< 2 年 >
井 熊 征 一 早大法
後 藤 芳 雄 教育大体
高 橋 英 也 大東文化大経
筒 井 善二郎 早大理工
村 山 晃 也 明大農
< 3 年 >
川 越 一 郎 上智大経
木 村 貞二郎 国学院大経
佐 藤 毅 日大理工
時 田 威 法大経
羽 田 和 雄 教育大教
横 山 東 士 教育大体
< 4 年 >
赤 井 淳 一 日大農獣医
大 塚 直 敏 青学大英文
勝 見 正 弘 法大社
佐 藤 孝 夫 中大法
宍 戸 仁 法大法
羽 隅 弘 宜 立大経
花 角 慎 一 明大法
山 方 雅 績 法大経
山形興譲館
有為会の皆様、東京、仙台、札幌各興譲館寮生の皆様会誌の1ベージをお借りして日頃の御好意に感謝させていただきますみちのくの山形も夏の太陽が近づいたかの様に、日増しに暖さが加わる様であります。山形市内にある山形興譲館寮は今年で8年目の歳月を送りその間3月には卒業生を社会人として社会へ送り出し、工学部生を米沢にある工学部へと送っています。
4月には、新寮生を迎へ入れて新たな雰囲気のなかですくすくと生長をとげて来て居ります。
今年もその例外なく、卒業生を5名、社会人1年生として社会へ送り出し、迎へて4月には十数名の新入寮生を迎えて活気のある寮生活を送っております。4月22日には、恒例の観桜会をかねて、新入生の歓迎コンパを山形の桜の名所千歳公園の護国神社境内ではなやかに行なわれた。美しく咲き誇っている桜の木の下で即興的な歌に舞いに旧寮生の強者共はメーターの上るに従って世にも不思議な変え歌やらを、いともかろやかに御披露したりなかなか思いやりのある所などをのぞかせて居り新入寮生の気分もほぐれ元気の良い歌に思わず耳をすますこともありました。
解散後、強者共の夢の跡をかたずけ、それぞれ思い思いの夜の街に散っていった様であります。
当館の今年の特徴と云えるのは、近年来の他県人入寮許可により、北は北海道、南は新潟県と現寮生の半数が入寮して居りますので、各地方の持色を生かしていともなごやかに夜のふけるのも忘れたかの様に、学問、人生そして恋愛について議論し合って居ります。
また寮生総入数28名中15名が新入寮生ですので、今年の寮生平均年令は若返った様です。
近頃は、将棋熱が盛んになり"吹けば飛ぶような駒に"命をかけて"わが生涯この一戦にあり"とばかりにらみ合っている2人の姿は、日本男子本来の姿なのでしょうか。
1昨年9月より付き始めている「楽書帳」も今年の5月28日にして第3集を書き終りました。
読み返してみると当時の寮生活がそのままに、私達の胸を到来します。諸々の面においてこの楽書帳は私達の1日の記録であり、山形興譲館寮の歴史の縮図であり私達の、"公"の議論の場であります。
最後に有為会の皆様、3興譲館寮生の皆様の御健康と御発展を御祈り申し上げます。 (渋谷記)
山形興譲館寮現寮生
4年 円 村 啓 文理・法 米沢
小 島 勝 衛 文理・化 新潟
平 吹 信 彦 教育 長井
小 林 哲 男 教育 長井
3年 渋 谷 正 紀 文理・法 青森(現・委員長)
黒 川 忠 文理・化 仙台
寿松本 俊 雄 文理・化 秋田
田 沢 亮 文理・生 青森
山 口 富士男 教育 米沢
山 □ 鉄 舟 教育 米沢
2年 長谷部 昭 文 農 長井
長谷部 敬 農 仙台
沢 田 静 雄 農 仙台
1年 高 田 九二雄 文理・理 新潟
山 ロ 碓 機 文理・理 福島
只 野 教 夫 文理・理 仙台
赤 井 稔 文理・理 福島
浅 田 茂 美 文理・文 長井
菅 問 忠 男 文理・文 荒砥
菊 池 惇 夫 文理・文 北海道
高 野 剛 浩 工 岩手
高 野 弘 工 秋田
三 浦 莞 司 工 岩手
小 原 直 孝 工 新潟
安 孫 子 勝 工 荒砥
八重樫 勝 昭 農 岩手
横 井 正 教育 米沢
土 肥 昭 教育 米沢
仙台興譲館
6月に入り仙台も次第に夏らしくなってきて白いワイシャツ姿がめっきり多くなってきました。青葉山のすそを流れる広瀬川のほとりに位置する静かな興譲館において、私達はそれぞれ自分の個性を生かし勉学にあるいは、スポーツに充実した学生生活を行っています。今年は先輩、湯野川孝夫氏(トヨタ自動車)を御送りしましたが、新しく6人の新入舎生を迎え総数28名の大世帯となり娯楽室は厳粛な書斎兼寝室と早変りしました。館内は狭いながらも楽しい我家といった若々しい活気に満ちております。
文化活動も一段と活発になりました。恒例の文料理科対抗の野球は全員日曜の朝5特に起床して近くの東北大学川内分校の野球場で行われ数において勝る理科が文科を抑えてかち、また例年行われている地元角五郎丁学生チームとの対戦は、7対6と昨年にひきつづいてこれを撃破しました。
また町内のマラソン大会には興譲館代表3名が出場しそれぞれ3、4、5位を占めるという大活躍でした。
昨年の秋のピクニックには紅葉の大倉ダムヘなべをかついで芋煮会を行い今年の春は松島の桂島でめいめいガールフレンド同伴でゲームなどに楽しいひとときを過しました。
仙台興譲館の伝統であるクラシック愛好者も増えたようで時たま音楽談義がまき起ります。もちろん娯楽室からは音楽が流れつづけ放心したような顔が窓から草草を見やっていることが度々です。ところで、仙台興譲館では寮生が28名となったのに、今年が最初で人員の増加と共にやはり寮運営上の様々の問題が出てきております。その中でも最大なのが寮生問の交流ということでしょう。
旧館と新館とが中に食堂をはさんで離れている為に両館の住人問の部屋訪問もある程度限定されることになるし、また夫々の意志交換、談合の機会も小人数の頃と比較してみると大分狭くなったような感もないではない、寮生問の親密感、連帯感が薄くなることは他の学寮等と異って興譲館においては大きな損失を伴うかもしれません。そうした中でも、同じ学部の数名が集って研究会を作り毎週1回程例会を続けて研サンしているが、そのような行き方は今後の寮生聞の連帯度を強めてゆく為の1つの面白い試みとなっているようです。
私達はふだんの勉学と共にこのような文化活動を通して、さらに寮生同志の政治問題や人生や社会の諸問題についての真摯な議論を通して人問形成につとめています。
仙台興譲館寮生名簿
五十嵐 廉 東北大工 1
尾 形 四 郎 ″工教 1
木 村 昌 三 ″ 工 1
斎 藤 彰 ″ 工 1
豊 野 好 一 ″ 教 1
沼 沢 俊 夫 ″ 工 1
相 田 侃 次 ″ 薬 2
梅 津 恒 夫 ″ 文 2
大 友 康 之 ″ 工 2
斎 背 雄 三 ″ 法 2
鈴 木 正 明 ″ 法 2
高 田 和 寿 ″ 工 2
千 喜 良 誠 ″ 理 2
千 葉 憲 治 ″ 経 2
長谷川 啓 二 ″ 教 2
山 □ 孝 宣 ″ 農 2
金 田 捷 記 ″ 法 3
金 田 隆 樹 ″ 医 3
鈴 木 治 雄 ″ 工 3
伊 東 享 司 ″ 工 3
高 橋 信 男 ″ 法 3
中 村 精 三 ″ 工 3
橋 本 周 蔵 ″ 経 3
加 藤 正一郎 ″ 工 3
大 越 文 彦 ″ 工 4
伊 田 英 男 ″ 経 4
種 部 豊 ″ 理 4
安 部 英 夫 ″ 文 4
札幌興譲館
半年間の冬から開放され、緑の若葉が我々を包み始めるのが、札幌の5月である。大通り公園にはチューリップの花が咲き乱れ、そのみごとな姿を、披露する。その後には、大通り公園のみならず、路を歩く市民に、ここかしこから純白、そして紫色のライラックが、甘い香りをなげかける。そしてその後で、アカシアの花が御目見えし、可憐なスズランが登場する。息のつく間も無い程、次から次へと、花の世界の舞台演出は、素晴しく、我々を楽しませてくれる。否、花の世界ばかりではない。真直ぐ空に向って背のびしているポプラの木、日光をまばらにしか透さない様に、大空に枝を広げるエルムの木、そして、水々しく、やわらかい緑をほこるケンタッキーブルーグラスといわれる芝生、それら全てが、我々の心を掴んでしまう。× × ×
今まで我々と共に生活して来た先輩二人が、今春卒業された、間宮博氏(工)は、富士三機鋼管に就職され、米村尚晃氏(医)は、山形県県立病院へ、インターンに行かれた。
この卒業生の代りに、この4月、大望をいだいて、北大に入学した新入生2人を迎え、毎日楽しい生活を送っている。
ここで新人寮生2人を含む14名の寮生を紹介しておきます。
安 喰 弘 札医大3 天童(副委員長)
鈴 木 大 和 北大医2 山形
須 且 進 北大医2 高畠
東海林 利 夫 北大工4 土沢
沼 武 良 北大工4 函館
安 部 俊 示 北大工3 米沢(委員長)
恩 円 正 臣 北大農3 群馬
森 一 北大工3 米沢(副委員長)
加 藤 公 清 北大工2 米沢(会計)
本 名 正 文 北大工3 米沢
南 部 紀 夫 北大理類2 長井
平 井 利 昭 北大理類2 米沢
山 村 勝 北大理類1 米沢
高 野 文 彰 北大理類1 米沢
以上14名、皆仲々の発展家で、馬術、フォークダンス、ダンス、等々、そして勉強と忙しそうである。また楽器をいじる者が案外多く、フルート、バンジョウ、バイオリン、ハーモニカ、ギター、ウクレレ、と各々素晴しい音色を聞かせてくれる。フルートを除いた他の奏者は、北大フォークダンスクラブのスクエアダンスバンドのメンバーでもある。
また先日の日曜日、全員朝6特に起床し、紅白ソフトボール試合を行った。初夏の朝早く、全く、すがすがしく気分が良い。唯一つ、朝食前なので腹に力加入らず、結局試合は、24対8というバスケットボールの様な得点で紅組が勝った。勝った方が先に朝食を取る権利があるという事で、負けた方は、朝食を前にして、腹の虫がグウグウなっていた。
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札幌興譲館も今年で、32年目、百余名の卒業生の残した、キズアトと、自然の猛威により、大部老朽化した箇所の復旧のため、大成建設の武田、樫村、本間諸氏、並びに、三晄建材の登坂氏、国鉄勤務の伊藤館長、等当地在住の有為会員の絶大なる御支援を受けて、八分通りの復興をみた事は、興譲館生一同感謝に耐えない。
また伊佐館長の力を借りて、寮生奉仕による下水工事を先日行った。
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6月23日、新緑に包まれた札幌市宮の森"山水閣"でジンギスカン鍋を囲んで、有為会員、そしてその御家族と楽しい一時を過すため、懇親会が行なわれた。出席者は、大橋支部長を初めとする30人位で、純粋の米沢弁が飛び出すやら、恋愛結婚、見合結婚の話に始まって、それぞれ、御自分の経験談が飛び出すやら、非常に楽しい懇親会でめった。懇親会に初めて来られた方が割合多かった事からも、この懇親会が有為義なものであったと云える。 以上